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大崎 史郎(おおさき しろう、1900年1月2日 - 1967年11月)は、日本の俳優である。本名は大崎 友三郎(おおさき ともさぶろう)。サイレント映画の現代劇からキャリアを始め、トーキーのころに時代劇に転向した。 == 来歴・人物 == 1900年(明治33年)1月2日、京都市上京区相国寺西門前町に生まれる。京都中学を卒業し、中山美術研究所で美術を学んだ後、1923年(大正12年)からは舞台俳優をめざし、「京都宗教演戯社」や「京都童話劇協会」といった演劇の会に入って、地方を巡業し、舞台に立った〔『日本映画俳優全集・男優編』(キネマ旬報社、1979年)の「大崎史郎」の項(p.102)を参照。同項執筆は岡部龍・奥田久司。〕。 1925年(大正14年)3月、日活大将軍撮影所の現代劇部に入社、同年9月には三枝源次郎監督の『愛児の行衛』、楠山律監督の『娘の行商』に出演してデビュー、翌月10月15日公開の三枝監督の『美人征服』では主役に抜擢されている〔。その後はユーモラスな演技で準主役級や脇役をつづける。 1929年(昭和4年)の撮影所の移転で太秦に移り、1934年(昭和9年)の現代劇部の多摩川撮影所(のちの角川大映撮影所)移転で多摩川に移るが、同年秋には京都に戻ってきて、時代劇に転向する。多摩川にいたわずかの間に、曾我廼家五九郎の浅草公園六区「金龍館」での芝居に出演している(同年6月)。 1942年(昭和17年)、戦時の合併を期に、永年暮らし、70本を超える作品に出演した同社を退社、第二次世界大戦後は大映京都撮影所に復帰した。1953年(昭和28年)には溝口健二監督の『雨月物語』に出演している。1960年(昭和35年)からは東映京都撮影所に所属した。 1962年(昭和37年)10月の東京宝塚劇場での長谷川一夫主演、北条秀司作の『西陣息子』では、長谷川とその兄役の松本幸四郎 (8代目)、妹役の中村扇雀 (2代目)の父親役に大抜擢された〔。 1967年(昭和42年)11月に死去した〔。67歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大崎史郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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