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大崎磐夫 : ミニ英和和英辞書
大崎磐夫[おおさき いわお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みさき]
 (n) cape (on coast)
: [いわ]
 【名詞】 1. rock 2. crag
: [おっと]
 【名詞】 1. (hum) (my) husband 

大崎磐夫 : ウィキペディア日本語版
大崎磐夫[おおさき いわお]
大崎 磐夫(おおさき いわお、1929年8月 - )は日本の実業家。元ホテルオークラ社長。
== 人物 ==
東京四番町で生まれ育つ。父は常磐炭鉱会長を務めた大崎新吉〔1999/02/11, 日経流通新聞〕。
旧制東京都立第四中学校(のちの東京都立戸山高等学校)を経て、1953年旧制東京商科大学(のちの一橋大学)卒業。常磐炭鉱入社。秋山富一(元住友商事社長)は大学予科の同級生。
1960年ホテルオークラ開業にともない、大成観光入社、1973年取締役、1981年常務業務管理室長施設担当、1989年専務、1992年副社長。新規プロジェクトを多く手掛け、切れ者と評された〔1982/10/30, 日経産業新聞、1995/06/23, 日経産業新聞〕。
1995年、佐藤晃一の後任として、ホテルオークラ社長に就任。初の生え抜き社長となった。同時に後藤達郎会長が相談役に退き、中山素平非常勤取締役が退任した〔1995/06/23, 日経産業新聞〕。不況でホテル市場が停滞する中、「高品質・低単価の時代」とし、人員削減や、調理方法の変更などを進めた〔1995/11/15, 日本経済新聞〕。野田岩次郎元社長のホテル哲学をまとめた本を作製し、研修等に用いた〔1995/09/24, 日経産業新聞〕。1997年に会長・社長の七十歳定年制を導入〔1999/06/10, 日経流通新聞〕。1999年に6期ぶりの最終黒字を達成。同年経営立て直しにめどがついたとして、自ら定めた定年制を守り、相談役に退いた〔1999/05/27, 日経産業新聞〕。
財団法人大倉文化団理事長、財団法人日本棋院理事等も務めた。
帝国ホテル社長の藤居寛とはゴルフ仲間だった〔1997/12/05, 日経産業新聞〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大崎磐夫」の詳細全文を読む




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