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大崎 隆雄(おおさき たかお、1942年4月24日 - )は、京都府京都市〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、100ページ〕出身の元プロ野球選手。 == 経歴 == 平安高校では、坂本昭三郎投手との二本柱で1960年の甲子園に春夏連続出場。春の選抜は1回戦で静岡高を降し、2回戦で初先発を果たすが、山口富士雄のいた高松商に敗退。高松商はこの大会で優勝する〔「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年〕。夏の甲子園府予選準決勝で東山高を相手に延長10回ノーヒットノーランを達成。夏の選手権では1回戦で金沢市工に完封勝利。2回戦はリリーフに回り、鹿島高の宮崎昭二投手と投げ合うが、自らの暴投で9回裏サヨナラ負けを喫する〔「全国高等学校野球選手権大会五十年史」 朝日新聞社編 1968年〕。1年下のチームメートに林健造がいた。 1961年に大洋ホエールズへ入団〔。同年の開幕戦となった4月8日の広島カープ戦では、7-7の同点となった8回から4番手として登板。3回を無失点で抑え、10回にチームがサヨナラ勝ちしたため、大崎は史上6人目となる新人投手開幕戦勝利を記録した〔〕。この年は24試合に先発し、2完封を含む4勝を挙げたが、敗戦も二桁となる10敗を記録した。 1963年は3完封を記録するも、勝利はこの完封した3勝のみに留まった。同年6月15日の広島戦では先発として登板も、1回に先頭打者の大和田明をカウント1-3から歩かせた5球だけで、三原脩監督に交代を命じられ降板している〔プロ野球記録大鑑(1993年、講談社)、777ページ〕。 1965年に近鉄バファローズへ移籍し、同年限りで引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大崎隆雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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