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大川 功(おおかわ いさお、1926年5月19日 - )は、株式会社CSKの創業者。 == 略歴 == *1926年5月19日 大阪船場で婦人子供服地の卸店「大川商店」を営む両親の次男として誕生。本籍地 大阪府大阪市。 *1945年3月 大阪府立旧制今宮中学を卒業、 *1948年3月 早稲田大学専門部工科卒業。肺結核に加え盲腸手術の失敗による腸漏を併発し、7年半にわたり病床に臥す。快復後、兄の会計事務所手伝いを経て、タクシー会社を共同経営し成功するも売却。 *1962年 日本IBMの勧めでパンチカードシステムPCSの講習に参加。情報産業の予兆を知る。 *1968年10月 大阪住友生命淀屋橋ビルに「コンピュータサービス株式会社」を創立。一代でどこまで挑戦できるかにこだわり、未成熟の暖簾のない分野、商売人がいない世界に挑戦する。 *1980年9月 情報サービス業界として初めて店頭公開。 *1982年6月 同社は日本の情報サービス業界の先頭を切ってシステムインテグレータ企業として初めて東京証券取引所市場第二部に株式上場する。 *1984年4月 株式会社セガ・エンタープライゼス(後のセガゲームス)へ資本参加し取締役会長就任。 *1985年3月 同社は東京証券取引所市場第一部に指定替えとなる。 *1986年8月22日 5億円を寄付し、財団法人 大川情報通信基金を設立、同年11月13日に初代理事長となる。 *1987年1月 コンピュータサービス株式会社の社名を株式会社CSKに変更し、商号も株式会社シーエスケイに変更する。 *1993年6月8日 30億円を財団法人 大川情報通信基金に寄付。 *1995年2月24日 ベルギーのブリュッセルで開催された先進国7ヵ国情報通信閣僚会議「情報通信G7サミット」に民間代表として出席。子供の声を聞く「ジュニアサミット」を提唱。同年11月、東京にて「ジュニアサミット'95」が開催される。 *1996年5月 社団法人ニュービジネス協議会会長就任(~1998年5月)。 *1998年11月 個人資産2700万USD(当時の為替レート1ドル=130.90円換算で約35億3430万円)をマサチューセッツ工科大学(MIT)に寄付したことから、MITが「Okawa Center for Future Children」(MIT大川センター)設立を発表。 *1999年10月 CSK子会社として株式会社イサオを設立し、それまでセガがドリームキャスト向けに提供していたインターネットサービスプロバイダー「セガプロバイダ」を「isao.net(イサオドットネット)」として承継する形で事業開始。 *2000年6月 セガ代表取締役会長(1997年~)兼社長に就任。 *2001年1月 家庭用ゲーム機分野からの撤退を決めた株式会社セガに個人資産約850億円を寄付。「事業で得たお金は事業に返す」という信念のもとの行動である。 *2001年3月16日15時47分、東京医科大学病院にて心不全のため逝去(74歳)。 *没時、株式会社CSK名誉会長、株式会社セガの代表取締役会長兼社長。 (大川功 没後のCSKグループの動き) *2001年4月14日 株式会社CSKと財団法人大川情報通信基金は関西文化学術研究都市に「大川センター」開設。 *2001年12月 CSKの保有するCSKエレクトロニクス(後のT-ZONE)株式をヴィーナス・ファンドに売却すると発表 *2002年3月 CSKの保有するアスキー株式をユニゾンキャピタルへ譲渡。 *2003年12月 CSKの保有するセガ株式をサミーへ譲渡。 *isao.netは2008年9月にイサオからフリービット子会社のドリーム・トレイン・インターネットに譲渡され、2009年2月にISPサービスがDTIへ吸収。またコンテンツ開発会社として存続しているイサオは2010年にCSKから豊田通商の完全子会社となっている。 *2011年10月1日 株式会社CSKは住商情報システム株式会社SCSを存続会社として合併、SCSK株式会社に商号変更。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大川功」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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