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大川 隆(おおかわ たかし、1967年8月2日 - )は、茨城県行方郡麻生町(現:行方市)〔『プロ野球人名事典 2003』(2003年、日外アソシエーツ)、P.98〕出身の元プロ野球選手(外野手、内野手、投手)。本名は「大川 隆哉」(読み方は「おおかわ りゅうさい」)。 ==来歴・人物== 銚子商では1985年、同期の片平哲也と投の二本柱を組み、夏の甲子園県予選を勝ち進む。決勝では先発し市柏高に圧勝、第67回全国高等学校野球選手権大会に駒を進める。1回戦では先発を片平に任せ、一番打者、中堅手として出場するが、この大会に準優勝した宇部商の田上昌徳(新日鉄光)に抑えられ敗退した〔「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年〕。 同年のドラフトで当時の横浜大洋ホエールズに投手として入団〔。当時までは右投右打。しかし、投手登録は1986年のみで、1987年からは100mを10秒台で走る俊足を活かし、スイッチヒッターの外野手に転向。後には遊撃手や二塁手などの内野手もこなした。当時盗塁王の常連だったチームメイトの屋鋪要を凌ぐ俊足で、「屋鋪・大川の右中間は抜けない。」と言われて期待されたが、故障や打撃の非力さでレギュラーになれず、1995年に引退〔。引退後は球団スタッフに転身。現在は横浜DeNAベイスターズ(一軍)のマネージャーを務めている〔。 2009年9月5日、先発投手のメンバー表にランドルフの名前を書くべき所をライアン・グリンの名前を書くトラブルを起こし、ランドルフの1試合15奪三振の救援最多奪三振記録を演出する。また、マネージャーとして球団公式サイトの広報担当が執筆しているコラムにしばしば登場している。そのコラム内ではダジャレ好きなことがわかる。 実家が寺院で自らも得度して僧籍を持ち、本名の隆哉は僧名である。プロ入り当初は隆の登録名だったが、後に本名に改めている〔『ドラフト物語』(2009年、廣済堂出版、著者=小関順二)、P.256〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大川隆」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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