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大師東丹保遺跡(だいしひがしたんぼいせき)は、山梨県南アルプス市大師字東丹保にある遺跡。13世紀(鎌倉時代)の村落遺跡。 鎌倉時代の集落遺跡は県内では珍しく、木製品など膨大な有機遺物が出土していることから注目されている。 == 立地と地理的・歴史的環境 == 所在する南アルプス市大師は甲府盆地の南西部、釜無川右岸に位置する。甲府盆地西武の西郡一帯は盆地を南流する釜無川の沖積平野で、大師東丹保遺跡は滝沢川と坪川で画された複合扇状地上に立地する。標高は245メートル付近。 近在の南アルプス市江原には向河原遺跡が所在し、弥生時代中期後半の水田跡と集落跡が検出されている。また、南アルプス市田島の油田遺跡から出土した弥生中期中葉の土器の圧痕からイネが検出されており、油田遺跡の昆虫化石からも水田指標昆虫が多数報告されている。このため弥生中期には当地における稲作の展開が想定されている。大師東丹保遺跡の環境復元においては、第三面全体に火山灰が検出され、水田など人為的な耕作の行われていない自然状態の湿地であると考えられている。一方で、大師東丹保遺跡の各区からは弥生中期のシカ・イノシシなどの動物遺体や種子類・土器片・建築材などが出土していいる。大師東丹保遺跡の周辺には稲作を生業とする集団が居住しており、この集団は大師東丹保遺跡一帯を行動範囲内とており、水田稲作の一方で、当地において狩猟や堅果の採集などを兼ねていた生業展開が指摘される〔植月(2010)、p.74〕。 古代には、一帯は『和名類聚抄』に見られる巨摩郡大井郷に否定される。平安時代後期には南アルプス市大井を中心に大井荘が立荘され、南アルプス市南部から富士川町にかけての地域を荘域とした。後に大井荘は南北に分割され、大師地域は北条に含まれる。 平安末期には甲斐源氏一族が進出し、西郡には加賀美遠光の一族が土着する。中でも遠光の子・光朝は南アルプス市秋山を本拠とし、大井荘を本拠としていたと考えられている。鎌倉時代には加賀美・秋山両氏は没落し、代わって大井荘では橘姓大井氏が出現する。 南北朝時代には甲斐国守護・武田信武の子である信明が大井荘に進出し、大井氏(武田大井氏)を称して有力国人となる。大井氏は鮎沢や荊沢を本拠に西郡一帯に勢力を及ぼした。荊沢(ばらさわ)には市も成立する。 戦国時代には大井信達・信業親子が駿河国の今川氏と結び甲斐守護・武田信虎と敵対するが、後に武田氏に臣従して家臣団となる。大師の付近には南アルプス市戸田の富田城や南アルプス市鮎沢の古長禅寺など、大井氏に関係する史跡が多く分布する。 大師東丹保遺跡のうち中世の遺構・遺物は鎌倉時代(13世紀後半から14世紀前半)と推定され、戦国時代に武田大井氏が入部する以前の村落遺跡と位置づけられている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大師東丹保遺跡」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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