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大庭 三左衛門(おおば さんざえもん、生年未詳 - 天正12年10月6日(1584年11月8日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。蘆名氏の家臣。主君・蘆名盛隆を殺害した人物として知られる。 == 生涯 == 須賀川にある諏訪神社の神主の子とされる〔林・181頁〕。 はじめ、二本松義継に仕えたが〔、蘆名盛隆が二本松氏から三左衛門を譲り受けて自らの家来とした。佩刀の役番を担当し〔、盛隆から寵愛を受けたが、蘆名家中では嫌われていたという〔。 天正12年(1584年)9月18日〔、黒川城内で縁側に座って鷹に餌をやっていた主君・盛隆に対し、背後から突如斬りかかってこれを斬殺した〔。殺害後、三左衛門は逃走を図るが、盛隆の別の小姓に追いかけ回され、連絡を受けた盛隆の家臣・種橋大蔵によって殺害された〔。 この事件の影響は大きかった。伊達氏の記録に盛隆殺害について言及がある〔。佐竹義重は谷部下野守にこの事件のことを報告し、国境線の警戒を緩めない旨を警告している〔林・181-182頁〕。岩城常隆も大内定綱に宛てた書状で盛隆殺害事件について言及し、「盛隆が生きていたころと変わらないよう、尚以て弓矢を曳き詰めるべき」と念押ししている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大庭三左衛門」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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