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成田 郁久美(なりた いくみ、1976年1月1日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。旧姓大懸(おおがけ)。北海道旭川市出身。ニックネームはイク。 == 来歴 == 三人姉妹の次女として生まれる〔月刊バレーボール 1996年4月号 75ページ〕。小学校4年生から旭川神居ジュニアでバレーボールを始め、6年生の時第7回ライオンカップで全国制覇を果たす。神居中学校から旭川実業高校に進み、1年生から活躍。2年生では高校総体で準優勝の原動力となった。 1994年、NECレッドロケッツに入団。レフトのポジションで攻守両面で活躍。1996年アトランタオリンピックに最年少メンバー(20歳)として参加し全試合に出場した。1997年、黒鷲旗大会で優勝、MVPを獲得。1998年5月、国際バレーボール連盟より1997年度世界ベスト6、アジアバレーボール連盟より、アジアベストプレーヤーに選出された。世界選手権、ワールドカップでは全日本のエースとして攻守にわたり大活躍した。 1999-2000年第6回Vリーグでは、NECレッドロケッツの主将としてチームを牽引し、21戦全勝の完全優勝に導いた。その後も全日本代表の中心選手として活躍したが、シドニーオリンピックの出場権を逃した事に加え、自身も故障が多かった事から、2001年、25歳の若さで現役引退した。 引退後は、ミカサ札幌支社で会社員として勤務するかたわら、地元北海道を中心に特別コーチなどを行っていた。2003年に結婚。同年秋、久光製薬スプリングスに入団して現役復帰。2004年アテネオリンピック世界最終予選から全日本代表に復帰。レシーブ力を買われリベロに抜擢され、本大会出場に大きく貢献した。 久光製薬ではライトとして活躍し、第12回Vリーグで準優勝し、自身もレシーブ賞を獲得した。2006-07Vシーズンにプレミアリーグ、日韓トップマッチ、第56回黒鷲旗大会で3冠を果たした。2007年6月末日を以て、久光製薬スプリングスを退団。同年9月、NECレッドロケッツに復帰しリベロとして活躍。2009年6月同部を退団し、同年9月パイオニアレッドウイングスに移籍した。2009-10Vプレミアリーグから再びスパイカーとして起用され、同シーズンで9年ぶりにサーブレシーブ賞を受賞した。 2000-01シーズンに記録したサーブレシーブ成功率87.4%は今も破られない不滅の記録である。2011年6月、現役引退。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「成田郁久美」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ikumi Narita 」があります。 スポンサード リンク
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