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大日本国一宮記 : ミニ英和和英辞書
大日本国一宮記[だいにほんこくいちのみやき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

大日 : [だいにち]
 【名詞】 1. Mahavairocana (Tathagata) 2. Great Sun 3. Supreme Buddha of Sino-Japanese esoteric Buddhism
: [にち, ひ]
  1. (n-adv,n-t) sun 2. sunshine 3. day 
日本 : [にっぽん, にほん]
 【名詞】 1. Japan 
: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
本国 : [ほんごく]
 【名詞】 1. one's own country 
: [くに]
 【名詞】 1. country 
: [いち]
  1. (num) one 
: [き]
 (n,n-suf) chronicle

大日本国一宮記 : ウィキペディア日本語版
大日本国一宮記[だいにほんこくいちのみやき]

大日本国一宮記(だいにほんこくいちのみやき)は群書類従 第二輯 神祇部 巻第二十三 に編纂されている日本国内の一宮一覧で、室町時代の成立とされる。
諸国一宮の社名、祭神、鎮座地を記した史料は「一宮記」と呼ばれ同種の本が多数存在するが、『大日本国一宮記』はその内の一つである。『大日本国一宮記』自体にも写本が多数存在する。一宮の研究における重要な資料であり、現代においても巡拝や取材する一宮の選定基準とされることがある。〔大林太良 『私の一宮巡詣記』 青土社 2001年9月 出版 では論社を整理するためと前置し、巡詣する一宮の条件として以下2つを上げている。①『大日本国一宮記』や橘三喜の『諸国一宮巡詣記』で一宮として取り上げられていること。②『延喜式神名帳』に記載されていること。〕
== 解説 ==
『大日本国一宮記』は、全国67社の名称、祭神と別称、鎮座地が記載され、最後に 「右諸国一宮神社如此。秘中之神秘也」 との言葉で閉められている。記載神社名や割註から分かるとおり本地垂迹説の影響が見える。また安房国豊後国では異なる2つの神社を同一社のごとく記載していることから〔橘三喜が全国の一宮を巡った際に携行していた『大日本国一宮記』の類本には、豊後国一宮の西寒多神社は別名を柞原八幡と名すと記されていたと思われる。橘三喜が記した『諸国一宮巡詣記』には柞原八幡宮に行って西寒多神社の所在を訊いたが「由原山へまかりて西寒多の社を尋けれ共、社人・社僧何れも知らさぬよしを告ぬ」との結果に終わったことが記録されている。〕、現地を調査して編纂されたものでは無いことが推測される。
鹿児島神社の割註に「兼右云。」とあることから、吉田兼右の在世である16世紀頃に成立したであろうこと〔大塚統子 『「一宮記」の諸系統 -諸本の書誌的考察を中心に-』 より。同文は 一宮研究会編 『中世一宮制の歴史的展開 下:総合研究編』 ㈲岩田書院 2004年12月 に収録。〕、吉田家あるいは吉田家に近い人物が編纂に係わっていることが推測できる。
写本が多数存在するが、写本同士で内容が若干異なる場合がある〔大塚統子 『「一宮記」の諸系統 -諸本の書誌的考察を中心に-』 によれば、神宮文庫にある『大日本国一宮記』では【 伊射波神社 真清田大明神也、大己貴命 志摩答志郡 】、【 大神社 大己貴命也 尾張国中嶋郡 】と記載されていた。〕。また、『大倭国一宮記』、『日本国一宮記』と題する諸本は内容がほぼ同じで、『大日本国一宮記』の類本と考えられる〔。
『「一宮記」の諸系統』〔では、応安8年(南朝の元号では天授元年、1375年)2月24日以前に成立した卜部宿禰奥書〔卜部氏宿禰を改めて朝臣となったのが応安8年(南朝の元号では天授元年、1375年)2月24日であることから、宿禰奥書はそれ以前のものとなる。〕『諸国一宮神名帳』と『大日本国一宮記』〔いずれも神宮文庫本。〕を比較している。両書を比較した場合、成立が後となる『大日本国一宮記』が記載を改めたとすると、同一社の神名を書き換えている神社19社の内14社が『延喜式神名帳』の記載神名に基づいて訂正されており、また卜部宿禰奥書『諸国一宮神名帳』では陸奥国一宮と豊後国一宮に式外社が記載されていたものが『大日本国一宮記』では式内社へ変更されている〔陸奥国一宮は鹽竈大明神から都都古和気社へ、豊後国は柞原大菩薩から西寒多神社へ変更されている。〕。この事実等から『「一宮記」の諸系統』〔では、選者は『延喜式神名帳』の式内社であることを強く意識して編纂に当たったのではないかと考察している。しかしながら、この改訂が一宮はどこかと言う事実を追求した成果なのか、あるいは政治的意図があったのかは別の検証が必要であるとも同書では述べている。
近世に『一宮記』が参照された際は、『大日本国一宮記』が用いられることが多かった〔大塚統子 『「一宮記」の諸系統 -諸本の書誌的考察を中心に-』 によれば、近世期における神社研究書物を見ると、徳川義直の『神祇法典』正保3年(1646年)、白井宗因の『神社便覧』寛文4年(1664年)および『神社啓蒙』寛文7年(1667年)、坂内直頼の『本朝諸社一覧』貞享2年(1685年)、尾張津島神職真野時綱の『古今神学類編』元禄9年(1696年)、その他書物で引用している『一宮記』の記述内容が『大日本国一宮記』にほぼ一致している、としている。〕。江戸時代初期の神道者である橘三喜延宝3年(1675年)から元禄10年(1697年)までの足掛け23年に亘って全国の一宮を巡った際は〔橘三喜はその記録を『諸国一宮巡詣記』として記している。『諸国一宮巡詣記』は 佐伯有義 編 『神祇全書 第2輯』 皇典講究所 1907年2月 に収録。〕、『大日本国一宮記』の類本である『吉田一宮記』と『豊葦原一宮記』を携帯して諸国を巡った〔。また伴信友天保8年(1837年)に著した『神社思考』〔伴信友 『神社思考』 は、しばしば一宮研究書に引用される。『神社思考』は 佐伯有義 編 『神祇全書 第1輯』 皇典講究所 1906年10月 に収録。〕では、世の一宮記に書かれている神々は全て『延喜式神名帳』に載っていると記しており、伴信友も『大日本国一宮記』系統の本を参照していたと思われる。
== 記載の神社 ==
『大日本国一宮記』には以下の67社が記載されている。記載順や社名、鎮座地は群書類従版に同じ。また、原文では祭神・別称を漢文で記載しているが、ここでは書き下した。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大日本国一宮記」の詳細全文を読む




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