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大日本愛国党(だいにっぽんあいこくとう、、GLP)は、日本の政治団体と政党。反共主義、愛国主義、民族主義を掲げる。党の初代総裁は赤尾敏。 == 解説 == GHQによる公職追放解除直後の昭和26年(1951年)に赤尾が結成。 各種選挙に積極的に候補者を立て、全て落選しているが、これは数寄屋橋で毎日行っていた街頭演説を公職選挙法の規定で途切れさせたくないという理由からだった。 政治腐敗・社会矛盾を糾弾し、市井の零細企業経営者から与党政治家まで幅広い支持者を得た。窮乏の中で参議院議員通常選挙、東京都知事選挙への出馬を繰り返し、最大13万得票するなど健闘した。 赤尾は社会主義者からの転向である。天皇親裁の下での生産手段の公有財産化を主張していた他、右翼思想の解釈に不敬発言がある〔数寄屋橋での演説中「天皇を利用せねばならん。天皇でさえ庶民のためにある」と述べるなど。〕と評する者もいる〔由井正臣ほか『日本近代人名辞典』(吉川弘文館、2001年)〕。 戦前の衆議院議員時代から、反共主義、反ソビエトの立場から対アメリカ・イギリス開戦に反対し、反戦演説会を開くなどした。北方領土問題については「南樺太・全千島列島が日本固有の領土である」と主張した。「ファシスト」呼ばわりする者もあるが、赤尾の思想は民族純粋主義のような偏狭なものではなく、日本が完全独立を果たすまで、あくまで「繋ぎ」としての親英米路線を掲げていたとの見方もある。 自身を「泡沫候補」扱いするマスコミに、一貫して異を唱え続けた(「泡沫候補」の語が世に広まったのは、赤尾本人が自称し不当性を訴えたことによる)。また自宅兼党本部に明治天皇、釈迦牟尼尊、イエス・キリストの肖像画を掲げ、政見放送では自らを殉教者に準え、キリストの他に日蓮の名を挙げていた。 赤尾の死後、「敵」であった公安警察の一部から「過激ではあったが至誠の人」という評価を得る反面、「同志」であった人間の一部からは「ケチだった」「自分一人が目立ちたがった」など、彼を知る人間の発言も様々である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大日本愛国党」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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