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大春日 雄継(おおかすが の おつぐ)は平安時代前期の貴族・儒学者。 == 経歴 == 越前国丹生郡の出身。承和14年(847年)正六位上から外従五位下に叙せられる。また、同年同族1名とともに春日部より春日臣に改姓し、越前国から左京に貫籍を移されている。 嘉祥3年(850年)従五位下・大学博士に叙任され、貞観15年(868年)に没するまで博士を務める。大学博士としての事績として以下がある。 *天安2年(858年)に大納言・安倍安仁以下、文章博士・菅原是善、陰陽博士・滋岳川人らと共に、山城国葛野郡田邑郡真原の地に赴いて、文徳天皇の山陵の地を定める〔『日本三代実録』天安2年9月2日条〕。 *貞観2年(860年)清和天皇に『御注孝経』を用いて『孝経』の進講を行う〔『日本三代実録』貞観2年2月10日条,同12月20日条〕。 *貞観3年(861年)清和天皇が『論語』を講読する際に侍講を務める〔『日本三代実録』貞観3年8月16日条〕。 *貞観6年(864年)釈奠にて『毛詩』を講じる〔『日本三代実録』貞観6年2月10日条〕。 斉衡2年(855年)従五位上、貞観2年(860年)正五位下、貞観6年(864年)従四位下に昇叙される一方、貞観5年(863年)には刑部権大輔を兼ねた。またこの間の斉衡3年(856年)には、大春日朝臣姓に改姓している。 貞観10年(868年)2月25日に野火による田邑山陵(文徳天皇陵)兆域の樹木焼失への対応について議論が行われた際、『礼記』では先人の室に火災があった場合は3日間哭すとの記載があることを述べ、それに従うべき旨を奏した。しかし、巨勢文雄による宗廟で火災が発生した際に皇帝は素服を着用したという『漢書』における故実〔 『漢書』武帝紀,昭帝紀〕に基づくべきとの意見が採用された〔『日本三代実録』貞観10年2月25日条〕。その後間もなく、雄継は引退の上表を行うが許されず〔『日本三代実録』貞観10年2月29日条〕、4月23日に卒去。享年79。最終官位は大学博士行従四位下。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大春日雄継」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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