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大月 俊倫(おおつき としみち、1961年12月18日 - )は、日本のレコード会社・キングレコード専務取締役(2016年1月31日までスターチャイルドレーベル担当)。また、アニメ・特撮企画会社ガンジス社長でもある。茨城県水戸市出身。日本大学農獣医学部卒。〔http://homepage2.nifty.com/hornet18/sub015_0710.htm〕 現在、大阪芸術大学芸術学部キャラクター造形学科アニメーションコース客員教授、日本工学院、81プロデュース特別非常勤講師。2010年10月末からは、円谷プロダクションの取締役に就任。 == 経歴 == 大学在学中はアニメ雑誌『アニメージュ』のアルバイトでアニメの仕事をし、卒業後はキングレコードにアルバイトで勤務し、1984年に入社、スターチャイルドレーベルに所属。『必殺仕事人』や『ゴジラ』のサントラ盤など当初は特撮関係のアルバムを手がける。しかし、入社して3年目くらいでスターチャイルドのスタッフの過半数が退社してユーメックスを設立。その後もスタッフの退社が相次ぎ、スターチャイルドには大月ともう1人の2人が残された状態で、『機動戦士ガンダム』のブームも去ったことから億単位の赤字を抱え、スターチャイルドは廃部の危機を迎えた。この機に大月は、毛利和昭のオリジナルデザイン・イラストで『ドリームハンター麗夢』ドラマCDを初プロデュースしヒットを飛ばす。以後、高田裕三の『3×3 EYES』、CLAMPの『聖伝-RG VEDA-』、高河ゆんの『マインドサイズ』など漫画のイメージアルバムのヒットを重ね地道に実績を積み上げていった。アニメのサウンドトラックでは『鎧伝サムライトルーパー』『赤い光弾ジリオン』『NG騎士ラムネ&40』などを手がけている。 音楽プロデューサーとしては、1990年代から新進気鋭の女性声優を積極的にプロデュースし、声優ブームの立役者となった。後に林原めぐみの才能を見いだし、スターチャイルド事実上の専属タレントとして徹底的に売り込み、スターダムにのし上げた。 1994年のテレビアニメ『BLUE SEED』以来、アニメの製作プロデューサーとしても多くのアニメ作品を手がけ、パイオニアLDC(現:ジェネオン・ユニバーサル・エンターテイメントジャパン)の真木太郎とともにアニメにおけるメディアミックス手法を確立した人物と言われる(『偽・うPの時事放談』の第1回放送より)。特に1995年の『新世紀エヴァンゲリオン』は社会現象ともなる大ヒットとなり、ヒットメーカーとしてその名を轟かせることとなった。ちなみに、口を出したくなるという理由で、放送時には見ていない。庵野秀明監督が作品を引き受ける条件は、作品に対してビジネスの要求を一切しないことであったという〔竹熊健太郎×宮台真司 ヱヴァンゲリヲン新劇場版公開記念 深夜の緊急対談:序破急〕。 予算の管理には厳しいとされ、『鉄人28号』では今川泰宏におけるロボットアニメの持論「400カット以上×本数」ができず、方向転換を余儀なくされた経緯がある。 「超星神シリーズ」では、大月本人はクレジット表示されていないが、代わりに原作クレジット表示にガンジスが書かれている。 第1回国際ニコニコ映画祭審査委員会の審査員として参加している。 2010年の10月末からは、円谷プロダクションの取締役に就任。平成ガメラシリーズなどの特技監督として有名だった樋口真嗣を口説き、樋口監督が手がける初のテレビドラマ「MM9」をプロデュースした〔樋口真嗣最新作『MM9』メディアの現在を示し、深夜枠を揺るがすドラマの意義とは!? 〕。 2016年現在、専務取締役の担務として担当役員となって業務を統括しているほか、各作品・アーティストのエグゼグティブプロデューサー職を委嘱の形で継続している。 長年東京都杉並区高円寺南に住んでいたが、茨城県守谷市に移り住み、2016年2月上旬に沖縄県宮古島市に移住。以後は茨城と沖縄を往復しながら、Blu-ray BOXや総音楽集CDなどのプロデュースをてがけ、2016年内に業界から引退する予定にしている〔小黒祐一郎「この人に話を聞きたい」第185回、『アニメージュ』2016年4月号P.148-151〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大月俊倫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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