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大月麗子 : ミニ英和和英辞書
大月麗子[おおつき れいこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [つき]
  1. (n-t) moon 2. month 
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

大月麗子 : ウィキペディア日本語版
大月麗子[おおつき れいこ]

大月 麗子(おおつき れいこ、1945年12月19日 - )は、日本の女優である〔キネ旬, p.140.〕〔''大月麗子''、''jlogos.com'', エア、2014年10月20日閲覧。〕〔国立国会図書館サーチ 検索結果、国立国会図書館、2014年10月20日閲覧。〕〔年鑑, p.324.〕〔年鑑, p.155, 182.〕〔''Reiko Ôtsuki'', インターネット・ムービー・データベース 、2014年10月20日閲覧。〕〔''大月麗子''東京国立近代美術館フィルムセンター、2014年10月20日閲覧。〕〔''大月麗子''・''古賀京子''、日本映画情報システム、文化庁、2014年10月20日閲覧。〕〔''大月麗子''KINENOTE, 2014年10月20日閲覧。〕〔''大月麗子''allcinema, 2014年10月20日閲覧。〕〔''大月麗子''・''大月礼子''・''古賀京子''日本映画データベース、2014年10月20日閲覧。〕〔''大月麗子''日本映画製作者連盟、2014年10月20日閲覧。〕〔''大月麗子''東宝、2014年10月20日閲覧。〕〔''大月麗子''日活、2014年10月20日閲覧。〕〔''大月麗子''デジタル・ミーム、2014年10月20日閲覧。〕〔大蔵映画黎明期プログラムリスト 、''PINK HOLIC'', トライワークス、2014年10月20日閲覧。〕。本名・初期芸名は古賀 京子(こが きょうこ)〔〔。大月 礼子とクレジット表記された作品も存在する〔〔。高校卒業した1964年(昭和39年)の夏に映画界にデビュー、1967年(昭和42年)に初主演を果たす〔〔〔〔〔〔〔。代表作は渡辺護監督の『㊙湯の町 夜のひとで』(1970年公開)〔〔映画芸術, p.120-128.〕〔週刊朝日, p.134.〕。
同時代に東映の女優であった古賀京子とは異なる〔〔〔、2014年10月20日閲覧。〕。
== 人物・来歴 ==

=== 成人映画の時代 ===
1945年(昭和20年)12月19日、第二次世界大戦終戦から4か月後の福岡県に生まれる〔〔〔。
1961年(昭和36年)4月、高等学校に入学、1964年(昭和39年)3月、高校卒業するとともに東京へ移る〔〔。同年夏、東京放送(現在のTBSテレビ)に所属する社員ディレクターであった今野勉が、脚本家の浅間虹兒に持ち掛けられて匿名の「グループ創造」名義で監督した『裸虫』に古賀 京子の名で出演したのが、映画界へのデビュー作とされる〔〔。同作は、同年11月1日に公開されたが〔、2014年10月20日閲覧。〕、同作に先行する同年8月26日に公開された『女蕩し』(監督大井三郎)にも出演した記録が残っている〔〔、2014年10月20日閲覧。〕。1965年(昭和40年)11月に公開された『埋蔵金物語 残虐の穴』(監督関孝二)に出演してから、女優としての本格的キャリアが始まった〔〔。
日本映画発達史』の田中純一郎は、同書のなかで黎明期の成人映画界のおもな出演者として、扇町京子橘桂子、城山路子(光岡早苗と同一人物)、内田高子香取環新高恵子松井康子西朱実朝日陽子火鳥こずえ華村明子森美沙湯川美沙、光岡早苗、路加奈子有川二郎里見孝二川部修詩佐伯秀男の名を挙げているが、大月の名は挙げられていない〔田中, p.85-86.〕。しかしながら泉は、1964年という初期の時期にデビュー、田中が同様に黎明期のおもな脚本家・監督として挙げた、関孝二の成人映画転向後の初期作品(『埋蔵金物語 残虐の穴』)に出演している〔〔。独立系成人映画の初期から活動する女優であり〔〔〔、泉ユリ(1946年 - )、林美樹(1946年 - )、清水世津(1943年 - )、美矢かほる(1944年 - )、桂奈美(1945年 - )、路加奈子(1943年 - )、火鳥こずえ(1943年 - )と同世代の女優である。年齢の割には年長に見えるため、まだ満21歳であった1967年(昭和42年)時点でもすでに『戯れ』(監督山下治)や『スペシャル』(監督関孝二)での芸者役、『おんな泣かせ』(監督酒匂真直)での人妻役、『日本性犯罪史 通り魔』(監督山下治)での母役、といった年上タイプの役どころを演じた〔。同年に公開された『初もの 日本㊙風俗史』(監督新藤孝衛)で初主演を果たした〔〔〔〔〔〔〔。
1968年(昭和43年)には、まだ「日活ロマンポルノ」(1971年 - 1988年)を開始していなかった日活がいくつか成人映画に触手を伸ばしており、児井英生青山プロダクションが製作した『女浮世風呂』(監督井田探、脚本山崎巌)に清水世津、辰巳典子、美矢かほる、林美樹谷ナオミ乱孝寿、内田高子、火鳥こずえらとともに出演、同じく同じく『ある色魔の告白 色欲の果て』(監督江崎実生、脚本山崎巌)に乱孝寿、清水世津、高月絢子、火鳥こずえ、辰巳典子、美矢かほる、橘桂子、林美樹、高鳥和子真湖道代らとともに出演、それぞれ同年7月10日、同年8月14日に公開された〔〔〔〔。当時、専門誌成人映画』の編集長であった川島のぶ子は、「和服のよく似合う日本的な女優」と評し、「遅まきながらクローズアップされる」とスタートから4年を経ての注目を指摘した〔。1970年(昭和45年)8月に公開された主演作『㊙湯の町 夜のひとで』が代表作とされる〔。大月が劇中でアンダーグラウンドのブルーフィルム女優を演じた同作は、公開当時にも話題になり同年11月に発行された『映画芸術』には大和屋竺によるシナリオが掲載され〔、同作はその後も渡辺護の傑作として語り継がれた〔
1971年(昭和46年)11月、日活が成人映画路線に全面的に舵を切り、「日活ロマンポルノ」を開始すると、ワールド映画の営業部長であった藤村政治が設立したプリマ企画が製作していた作品が日活配給で封切られるようになり、同年12月29日に公開された『吸いつく白い肌』(監督秋山駿)に主演したほか〔〔、日活製作による田中真理の主演作『おんな天国 子だね貰います』(監督小原宏裕、1972年6月17日公開)や、若松プロダクションが製作して東映が配給した宮下順子の主演作『㊙高校生の性生活』(監督中川亘、1972年11月7日公開)に助演、向井プロダクションが製作して同じく東映が配給した『団地妻㊙研究会』(監督向井寛、1973年3月3日公開)に主演している〔〔〔〔〔。1973年(昭和48年)5月12日に公開された東宝映画製作、東宝配給作品である一般映画『戦争を知らない子供たち』(監督松本正志)にも出演した〔。
1976年(昭和51年)前後まで「名脇役としてピンク映画界では貴重な存在」(川島)として出演を続けたが〔、引退している〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔。記録に残る最後の出演作は同年11月16日公開の『姦淫のざんげ ある強盗の手記』(監督小林悟)への助演であった〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔。1980年(昭和55年)12月31日に発行された『日本映画俳優全集・女優編』の大月の項の記述には、引退後は福岡市内でビル経営を行っている、とある〔。以降の消息は知られておらず、存命であれば2014年(平成26年)には満69歳である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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