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大木 勝年(おおき かつとし、1949年3月17日 - )は、千葉県東金市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 ==来歴・人物== 成東高校では、1966年夏の甲子園千葉県予選準々決勝で、千葉工商の中山孝一投手と投げ合い0-2で完封負け、甲子園には出場できなかった。早稲田大学へ進学。東京六大学リーグ通算17試合登板、4勝4敗。早大には1年上に小坂敏彦、安田猛という好投手がおり、入学後3年間は下積みを続ける。しかし4年の春季シーズンに2勝1敗、防御率0.73(第1位)、秋季シーズンには2勝3敗、防御率1.07(第2位)と活躍。特に秋の東大戦で1番から9番まで連続三振奪取という連盟新記録を樹立し、一躍脚光を浴びた。 1970年ドラフト会議でヤクルトアトムズから16位指名を受け入団。早大卒でありながら全球団ドラフトの最後の指名での入団に話題が集まる。1972年に巨人からプロ初勝利をあげるが、その後は登板機会に恵まれず、1974年に引退した。 サイドに近いアンダースローからの、ストレート、スライダー、カーブ、シュートを武器とした。ストレートにはスピードがあり、シュートの切れ、制球力に優れるが、変化球の角度にやや甘さがあった。 引退後はフロント入り。2010年3月18日、常務取締役に昇格。2012年3月22日、退任した〔役員及び役員管掌業務の変更について 東京ヤクルトスワローズ ・2012年3月22日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大木勝年」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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