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大木 市蔵(おおき いちぞう 1895年(明治28年) - 1974年(昭和49年))は、日本の食肉加工技術者、畜産学者である。千葉県横芝光町出身。門下に多くの職人を育て上げ、「日本のソーセージの父」と称される〔。 == 略歴 == 1895年(明治28年)、千葉県匝瑳郡東陽村(現・横芝光町)に生れる。1910年(明治43年)、横浜中華街の「江戸清」(店主・高橋清七)に、食肉加工見習いとして就職する。 既に横浜では1887年(明治20年)頃からソーセージが製造・販売されるようになっており〔『長崎名勝図絵』によると、長崎のオランダ商館ではハムやベーコンが製造されていた(「猪の臘干(らかん)」と書かれている)。ソーセージもそこで作られていたと想像はされるがそれ以上の記録が見当たらず、1860年(万延元年)、遣米使節団の一員として米艦ポーハタン号に乗り太平洋を渡った幕臣・森田岡太郎が、ハワイで出されたソーセージのことを「豚の油煮 ことのほか味よろしくおぼゆ」(『亜行日記』)と記しているのがソーセージの記録としては最初のものとされる。 以後の記録では、どれがハムでどれがソーセージのことか判然とせず(まだ、ハムやソーセージという言葉は使われていない)、また「腸詰」と書かれていても、西洋式のソーセージなのか、中華式腸詰なのかも定かではないため、なかなか経過を明確にすることができない。 横浜では1878年(明治10年)、イギリス人ウィリアム・カーチスがハム・ソーセージ作りを始めたとされているが、これは主にハムだったと思われ、品質もまだ未熟なものだった。〕、日露戦争後には、山下町のドイツ系ロシア人ヤコブ・ベルテが、外国人相手にソーセージを製造・販売していた〔この店は関東大震災まで存続していたが、品質はあまり上等ではなかった(大木市蔵『実用豚肉加工法』(1933年)中、「日本に於ける豚肉加工業の沿革」による)、という。〕ことが知られている。 このような中、1912年(明治45年)、大木はドイツ人コックマーチン・ヘルツ 〔Martin Herz 外国船のコックだったと言われており、ソーセージで弟子を取れるマイスターではなかったらしい。〕と出会い、弟子入りしてソーセージの製法を習う。1914年(大正3年)、第一次世界大戦勃発。敵国民となったヘルツに代わり、合資会社サシズ屋商会を設立した〔サシズとは、ソーセージの訛。〕。 1917年(大正6年)、第1回神奈川県畜産共進会に、高橋清七名義でソーセージを出品。続いて1919年(大正8年)、第1回畜産工芸博覧会(中央畜産会主催)に、高橋清七名義で出品、銀賞〔金賞は該当者なく、銀賞が最高賞となったが、この博覧会で主任審査官を務めた飯田吉英は「ソーセージは概して、原料肉の截切及び填充法其の宜しきを得たりと雖も、風味色沢に於て欠陥を有するもの多し。」(同博覧会報告書)と講評している。なお、飯田はこれより先、1918年(大正7年)2月に習志野でカール・ヤーンのソーセージ製法を記録している。〕を獲得した。 1920年(大正9年)、合名会社大木ハム製造商会を、横浜市中区元町1丁目25番地に設立する。1923年(大正12年)に関東大震災に遭遇し、ヘルツは神戸に移住、その後帰国した。 1924年(大正13年)、大木市蔵は東京市京橋区(現・東京都中央区)銀座4丁目に日本初のハム・ソーセージ専門店を開設する。また、この年から東京帝国大学駒場畜産研究会で講義を始めた。1930年(昭和5年)、農林省の嘱託を受け、以降、全国各地で食肉加工講習会を行い、技術指導と人づくりにあたった。また1936年(昭和11年)には、高崎ハム協同組合(群馬県)の創立にも携わっている。 戦後は、1949年(昭和24年)、日本ハム・ソーセージ工業協同組合設立。初代常務理事に就任。1956年(昭和31年)、千葉工場を 有限会社千葉大木ハム製造商会に組織変更。 1961年(昭和36年〉には、ハム・ソーセージに関する日本農林規格(JAS)の委員に任命され、規格案を作成する。 多くの弟子を育て、慕われていたため、1963年(昭和38年)、横浜元町の厳島神社に、大木の胸像が建立された。また1973年(昭和48年)には、勲五等双光旭日章(正六位)に叙されている。1974年(昭和49年)8月1日、逝去。 なお、2015年(平成27年)10月8日、一般社団法人日本記念日協会は、大木の出身地である横芝光町商工会青年部からの申請に基づき、大木が初めて品評会にソーセージを出品した1917年(大正6年)11月1日にちなんで、11月1日を「ソーセージの日」と認定した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大木市蔵」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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