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大木操 : ミニ英和和英辞書
大木操[おおき みさお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

大木 : [たいぼく]
 【名詞】 1. large tree 
: [き]
 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber 
: [みさお]
 【名詞】 1. chastity 2. fidelity 3. honour 4. honor 5. faith 

大木操 : ウィキペディア日本語版
大木操[おおき みさお]

大木 操(おおき みさお、1891年10月19日 - 1981年8月13日)は、日本官僚政治家日中戦争期から太平洋戦争末期までの戦時期において衆議院書記官長を務めた。その退任後は、貴族院議員となり、また、東京都副知事を務めた。
==来歴・人物==

===書記官長就任まで===
東京に生まれ、東京府立第四中学校旧制第一高等学校を経て、東京帝国大学法科大学独法科卒業。高等文官試験行政科に合格し、1918年4月5日、会計検査院に採用され、会計検査院書記に任ぜられる。1919年6月28日、副検査官に任ぜられ、海軍省担当として検査事務に当たる。検査先では、当時の財部彪佐世保鎮守府司令長官に水上飛行機に乗せられたり、鈴木貫太郎佐世保工廠長と盃を交わしながら「海軍魂」の説教を受けたりした。
1923年2月8日、兼ねて会計検査院書記官に任ぜられる。かねてから衆議院事務局への転任を志していたが、同年8月、第7代衆議院書記官長である寺田栄が貴族院議員に勅選され、中村藤兵衛書記官が書記官長に任ぜられたことに伴い、衆議院書記官ポストに空席ができたことを知り、会計検査院の先輩である中村書記官長に自らの転任方を懇請した。中村書記官長の尽力もあり、その直後9月12日、関東大震災の対策のために人手が必要として衆議院書記官に任ぜられ、念願の衆議院事務局に転じる(衆議院書記官兼副検査官)。同年12月の臨時議会(第47回帝国議会)では、山本権兵衛首相の下で提出された帝都復興予算に対する野党政友会の大幅修正案を、会計検査院の経験を生かしながら仕上げている。
1925年9月12日、兼ねて営繕管財局書記官に任ぜられる。1932年2月2日、副検査官及び営繕管財局書記官の兼官を免ぜられる。
1932年、ドイツ国会制度調査研究のためベルリンに滞在中、総選挙で大勝したナチスゲーリングが議長を務めるドイツ議会において、ヒンデンブルク大統領からの議会解散命令を無視してパーペン内閣に対する不信任案の採決が行われた本会議(9月12日)を傍聴している。
1932年12月21日、兼ねて行政裁判所評定官に任ぜられる。1934年4月13日、勅任官をもって待遇せられる。
1936年二・二六事件の際には、総選挙直後で正副議長が選任されておらず、また、書記官長不在の中、首席書記官として仮議事堂に現れた反乱軍将校の応対に当たる。議事堂の借用を求められたが、これに対して、議事堂借用のようなことは議会閉会中であっても各党の了承を得なければならない慣例であり、殊に総選挙直後で正副議長が未選任のときであっては尚更である旨を説明して、将校を引き上げさせている〔大木操『激動の衆議院秘話―舞台裏の生き証人は語る―』(第一法規、1980年)〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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