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大木 淳吉(おおき じゅんきち、1940年11月23日〔『日本映画人名事典 監督編』「大木淳吉」の項目、キネマ旬報社、1997年〕 - 1996年12月13日〔 )は、日本の映画監督。別名:大木 淳。法政大学卒。 == 人物 == 1964年、サンケイ出版を経て円谷特技プロダクションに入社。円谷英二に師事し、『ウルトラQ』と『マグマ大使』『ウルトラマン』で特撮助監督を手掛け、『快獣ブースカ』で特殊技術デビュー。 実相寺昭雄とコンビを組むことが多く、デビュー作の『ウルトラセブン』第8話「狙われた街」、現在欠番作品となった第12話「遊星より愛をこめて」〔この2話以外にも、『帰ってきたウルトラマン』第32・37話での戦闘シーンが、すべて夕陽の中で行われている。〕のほか、映画『帝都物語』(1988年、東宝)『ウルトラQ ザ・ムービー 星の伝説』の特撮監督を手がけた。没後も『ウルトラマンティガ』の実相寺昭雄の監督作品(37話、40話のみ。株式会社コダイ制作分)にプロデューサーとしてクレジットされている。実相寺担当の2話は大木の弔い合戦として制作されたものである〔『ウルトラマンの東京』p289、実相寺昭雄著、ちくま文庫、2003年〕。 『帰ってきたウルトラマン』第32話「落日の決闘」では本編監督も兼任した。これ以降、本編監督としての参加もふえ、『ミラーマン』『ファイヤーマン』『ジャンボーグA』『ウルトラマンレオ』では、特撮監督は担当せず、本編のみを監督していることも多い。とくに『ファイヤーマン』は1〜2話や重要な話の演出を手がけ、実質的なメイン監督だった。本編監督をつとめた場合は、実相寺昭雄の影響をうけた前衛的な映像が多い。『ジャンボーグA』では本編の監督として最終回の演出も手がけた(特撮監督は佐川和夫、吉村善之)。 なお、本名は大木淳吉だが、『帝都物語』以前は大木淳名義で参加しており、こちらの名前での活動期間のほうが長い。大木淳というペンネームを使用していた理由は、円谷プロダクションでの満田かずほの薦めによるものだという。 プロデューサーに転向していた時期もある。プロデューサーとして『恐竜探検隊ボーンフリー』(プロデューサー補)、『恐竜大戦争アイゼンボーグ』、『恐竜戦隊コセイドン』、『ぼくら野球探偵団』を手がけた。このうち『恐竜探検隊ボーンフリー』『恐竜大戦争アイゼンボーグ』では自ら監督をした作品もある。その後は円谷プロダクション制作の2時間ドラマのプロデューサーも手がけた。 1996年12月13日に肺がんのため、56歳で逝去した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大木淳吉」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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