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『大東輿地図』(だいとうよちず)は、金正浩が1861年に完成した李氏朝鮮の全国地図である。姉妹編に『青丘図』2巻と『大東地志』32巻がある〔吉田(1988)〕。 == 概要 == 木版で22貼、16万2000分の1に縮小された朝鮮半島全域が、中江鎮が少し北にぶれているのと鬱陵島が実際より南に描かれているのを除けば、ほぼ正確に描かれている〔作者の金正浩は、木版印刷で刊行した罪により1864年に刑死している。吉田(1988)〕。 金正浩自身が30余年間全国を歩き完成させたとされる。研究では、半島全てを踏破するのは信じがたくそれ以前の地図を参考に補填・修正を加えて作成されたとしている。しかし、それまでの地図には見られなかった地形表示法の開発、詳細な山河網の記入などは勿論、行政区域ではなく、座標を用いたことが新しい。冊子を全てつなぐと横3メートル、縦7メートルにもなる。 地図には、山脈、河川、島嶼、港口、航路、行政区の境界、交通網、通信、史跡などが示されている。李氏朝鮮の地図のなかでは最高傑作と評され、前近代の歴史・地理研究に資するところが大きい〔。 『大東輿地図』は『青邱図』を元に作られたのであるが、『青邱図』が南北100里、東西70里に対し、『大東輿地図』は南北120里、東西80里となっている。『青邱図』に比べて山筋と河川網が非常に正確に記されていて、実際の旅においてより実用的になった。さらに持ち運びのよい90万分の1の『大東輿地全図』も木版刊行した。朝鮮交易を行う対馬藩の宗氏に対して朝鮮が官職を与えるなどしていたことから、対馬はこの地図の方には記載されているが、位置や形状等は不正確である。 『大東輿地図』は大韓民国指定宝物第850号に指定され、誠信女子大学、ソウル歴史博物館、居昌博物館(慶尚南道有形文化財第275号)に所蔵されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大東輿地図」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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