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大根 晃(おおね あきら、1935年7月15日 - )は、石川県金沢市出身の元プロ野球選手(投手)。 == 来歴・人物 == 石川県金沢市出身。金沢桜丘高校時代は、高校1年からエースで4番だった。高校3年時には1953年春の甲子園に出場(初戦で、浪華商に0-7で大敗)。夏は県大会準決勝・決勝で2試合連続ノーヒットノーラン達成し優勝したが、北陸大会で金沢泉丘高校(その後、本大会に出場)に敗退し、甲子園に行けなかった。この事でプロ入りを決意し、秋に大阪タイガースの入団テストを受けて合格し、入団した〔猛虎人国記(19)~石川県~ 加賀百万石の沈黙破ったテスト生(大根)サヨナラ弾で1面飾った笠間 スポニチアネックス、2012年3月27日記事。〕。 ルーキーイヤーの7月8日に洋松戦(大阪球場)で、プロ入り初登板にして初先発。タイガースの選手において、初の石川県出身者として出場を果たした〔石川県出身者のタイガース選手は、横井啓二(~在籍)が初めて(ちなみに石川県出身者として初のプロ野球選手でもある)だが、一軍未出場のまま引退した。奇しくも、大根とは誕生日が同じ(横井の方が5歳年上)で高校の先輩でもあり、大根の前にタイガースの背番号36を付けていた。〕。しかし、元阪神所属の藤井勇に本塁打を打たれるなど、2回でKOされた〔。落差の大きいドロップを武器に、新日本リーグやウエスタン・リーグでは活躍したが、一軍の壁は厚く、結局現役生活では1954年に出場した3試合に留まった。限りで退団。 阪神退団後は、社会人野球の選手として活躍。まず天王寺鉄道管理局に所属し、の第29回都市対抗野球大会では2試合で計10回を3安打1失点に抑える好投を見せた。天王寺鉄道管理局時代の監督に、成田啓二(元国鉄投手)がいる。その後、鐘淵化学(鐘化カネカロン)に移籍し、1959年,1961年と都市対抗野球大会に出場した。この時のチームメイトに、松浦三千男(元大阪。1956年の1年だけチームメイトだった)がいる〔猛虎人国記(24)~静岡県(上)~背番「1」のサードが放った劇的弾 スポニチアネックス、2012年3月27日記事。〕。1962年の大会では山陽特殊製鋼の補強選手として出場し、チームをベスト8に導いた。 に母校・金沢桜丘高校が自身の出場以来、53年ぶりに第78回選抜高等学校野球大会に出場を果たす(21世紀枠として選出)と、甲子園球場のアルプス席に駆けつけて応援する姿が目撃された〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大根晃」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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