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大槻ケンジ : ミニ英和和英辞書
大槻ケンジ[つき]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [つき]
 【名詞】 1. Japanese zelkova 2. zelkowa serrata

大槻ケンジ ( リダイレクト:大槻ケンヂ ) : ウィキペディア日本語版
大槻ケンヂ[おおつき けんじ]

大槻 ケンヂ(おおつき ケンヂ、1966年2月6日 - )は、日本ロックミュージシャン作家。本名、大槻 賢二(おおつき けんじ)。愛称は、オーケン
東京都中野区野方出身。有限会社オーケン企画所属。インディーズ時代に使っていた芸名は「おーつきモヨコ」「大槻モヨコ」〔「モヨコ」とは、夢野久作ドグラ・マグラ』の登場人物から引用されている〕など。身長178cm。血液型B型

== 概要・来歴 ==

* 少年時代、中学の同級生内田雄一郎と共に漫画家を目指していたが、(本人が「世界で一番好きなバンド」と語ったこともある〔『オーケンののほほん日記ソリッド』におけるキング・クリムゾン来日公演に触れた記述。〕)キング・クリムゾンピンク・フロイドら王道のプログレッシブ・ロックYMOヒカシューP-MODELなど当時のニュー・ウェーヴ遠藤賢司頭脳警察JAGATARAザ・スターリンINUらの日本語詞のロックパンク・ロックなどに影響を受け、次第に音楽の世界へと興味を持ち始める。ちなみに最も影響を受けた漫画家蛭子能収諸星大二郎であった。
* 1979年、内田の誕生日会での余興の延長線上として、友人数人とバンド「ドテチンズ」(ザ・ドンズ)を結成。当初はエレクトーンを担当していた内田以外に楽器の演奏が出来るメンバーがおらず、大槻は健康器具の青竹を打ち鳴らしたりしていた。ドテチンズは中学卒業と共に解散。
* 1982年2月、内田と共にロックバンド「筋肉少女帯」を結成(当時のバンド名は「筋肉少年少女隊」)、大槻はボーカルベース作詞を担当。ほぼ同時期、内田の高校の先輩であったケラ(現ケラリーノ・サンドロヴィッチ)がドテチンズの音源を聴いて面白がり、大槻と内田とケラの三人でカラオケユニット「空手バカボン」を結成、1983年にケラの主宰していたナゴムレコードからインディーズデビュー。後に筋肉少女帯もナゴムからリリースを重ね(ごく初期の段階で、大槻がベースを弾きながらだと歌えないことが発覚したため、当初はキーボードだった内田雄一郎にベースのポジションを任せている)、1980年代後半からのバンドブームに乗って1988年6月トイズファクトリーからメジャーデビュー。
* 比較的初期から同バンドのフロントマン兼宣伝塔として『オールナイトニッポン』のパーソナリティーを始めとする様々なメディアに露出し、『徹子の部屋』や『さんまのまんま』などのテレビ番組にも出演する。『徹子の部屋』初回登場の際は、極度の緊張で聞かれた内容を上手く表現できなかったという。
* レコード会社を数社移籍しつつ、ソロ活動や「UNDERGROUND SEARCHLIE」「1980年代の筋肉少女帯」といったユニット活動の後、1999年に筋肉少女帯を脱退、新バンド「特撮」を結成して音楽活動を続ける。また、ソロ活動時に大槻のバックバンドを務めていた石塚BERA伯広(qyb、元筋肉少女帯、元SOFT BALLETサポート)や小畑ポンプすかんち)、佐藤研二(石窟寺院など、元マルコシアス・バンプ)と共にアングラロマンバンド「電車」を組んだ他、「オーケン&ニセ特撮」「大槻ケンヂ&ヤングス」「大槻ケンヂと名前は何でもいい」、バンド形式ながら大槻以外のメンバーを固定しない「大槻ケンヂス」といった企画バンドで各種イベントにも多数出演。現在も、弾き語りや、アンプラグドユニット、ジャズアニメ・特撮ソングといったイベントへのゲスト参加などで、積極的にソロでのライブ活動を行っている。
* 縁のあるミュージシャンやサブカル系のゲストを招いて新宿ロフトプラスワンにて行われるトークイベント「のほほん学校」も、1998年から定期的に行われている。
* 筋肉少女帯時代の一部のメンバーとは一時疎遠な関係であったが、イベントなどを通じ「仲直り」し、2006年7月に復帰。12月に筋肉少女帯復活ライブを行った。同年12月25日付で『大槻ケンヂと特撮ファンクラブ』より特撮のバンド活動休止が発表されるが、後に新しい所属事務所・オーケン企画より、活動休止ではなく、あくまで充電期間である、との説明が行われる。特撮としてのバンド活動は行われていないが、大槻ソロでの音源録音やライブでは、特撮メンバーと共に行われることがある。
* 1990年代前半から筋肉少女帯として活躍する傍ら文筆活動も始めている。小説に『新興宗教オモイデ教』『グミ・チョコレート・パイン』『ステーシー』などがある他、『オーケンののほほん日記』など多くのエッセイを著している。作家活動における文体は、昭和軽薄体を意識している〔『わたくしだから』(集英社)p.114〕。日本SF作家クラブの会員でもあるが、本人によれば幽霊部員状態が続いているという。
* 2007年現在、筋肉少女帯への復帰以降から小説執筆は止まっているが、対談やエッセイの連載は続けている。
* 2008年6月21日で筋肉少女帯デビュー20周年を迎え、現在も精力的に活動中。
* 2011年4月1日から特撮としてのバンド活動も再開した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大槻ケンヂ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kenji Ohtsuki 」があります。




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