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大槻 憲二(おおつき けんじ、1891年11月2日 - 1977年2月23日)は、日本の精神分析家、心理学者、文芸評論家。兵庫県洲本市出身。早稲田大学卒。孫に翻訳家の長井那智子。(大槻快尊とは別人) ==活動== 日本における精神分析の草分けの一人であり、代表的な紹介者である。フロイトやその他の精神分析家の翻訳者としても著名である。文芸評論家としては『文藝日本』『新潮』などにマルキシズム文学論批判の評論を発表している。 1928年、矢部八重吉や長谷川天溪(本名、長谷川誠也)らとともに東京精神分析学研究所〔この東京精神分析学研究所は1932年のヴィースバーデンの会議の時、国際精神分析学協会に加盟している。〕を創設し、後に所長となった。1933年には日本初の精神分析学の雑誌、『精神分析』を創刊した。〔また、彼主催の精神分析研究会は江戸川乱歩もそのメンバーとなっている。〕 戦後創設された日本精神分析学会には大槻は入会していない。〔小此木啓吾によれば、同学会の創設者である古澤平作と馬が合わなかったことが排斥の原因と考えられる。〕そのためか現在の日本の精神分析学界における彼の影響は限定されたものに止まっている。 大槻とフロイトは定期的に文通していた。大槻宛のフロイトの書簡は彼の母校である早稲田大学の図書館に保管されている。「あなたがぶつかっている抵抗について書かれていることは私にとっては驚くべきものではありません。それこそまさにわれわれの予期し得たものであります。しかしあなたが日本の精神分析に確かな基盤を据えたこと、それが消え去る恐れのないことを私は確信しております」(1933年5月20日付けの書簡)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大槻憲二」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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