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大橋 勝夫(おおはし かつお、生年不明 - 1945年(昭和20年)7月16日〔*>公式には同年8月1日。〕)は、日本の海軍軍人(海兵53期卒)。太平洋戦争において四艦の潜水艦長を歴任し、交通破壊戦に戦果を挙げた。その一方で漂流していた連合国将兵を攻撃せず、戦後になってこの大橋の行為が明らかとなった。神龍特別攻撃隊を構成した「伊13」潜水艦長として戦死し、一階級昇進により最終階級は海軍大佐。 == 生涯 == === 潜水艦専攻士官 === 大橋は鎌倉市出身〔『海軍美談よもやま物語』「敵漂流艇にかけた武士のなさけ」〕〔*>『艦長たちの軍艦史』、『海軍兵学校沿革』では三重県。〕で、横須賀中学校〔『海軍兵学校出身者(生徒)名簿』166頁〕を経て海軍兵学校に入校した。1925年(大正14年)に卒業した(53期)の同期生には海軍青年士官運動の中心人物である藤井斉がおり、他の10名が特別高等警察作成のブラックリストに掲載されているが、大橋の名はない〔『日本陸海軍総合事典』東京大学出版会、671頁〕。大橋の卒業席次は下位〔『海軍兵学校沿革』原書房〕であった。駆逐艦「蓼」航海長などを経て、潜水艦専攻士官(将校)となり、「呂67」潜水艦長を経て、「伊156」〔*>「伊56」から名称変更が行われているが、「伊156」で統一して記述する。〕潜水艦長として太平洋戦争の開戦を迎えた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大橋勝夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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