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大橋房太郎(おおはし ふさたろう、1860年 - 1935年)は、大阪府出身の政治家。大阪府を流れる淀川の治水に一生を捧げ、治水翁と呼ばれた。 == 略歴 == 大阪府東成郡榎本村(現在の大阪市鶴見区)放出(はなてん)の庄屋に生まれた。 東京で鳩山和夫邸の書生をしていた時、1885年(明治18年)の淀川の大洪水のことを知った。急遽帰阪し、惨禍を眼のあたりにして、淀川治水の大事業に取り組むことを決意する。 1891年(明治24年)、大阪府議会議員に当選する。 その後、房太郎らの努力が実り、1896年(明治29年)、国レベルでの河川法が制定され、淀川改修費が出されるとの両院の可決をみた。その時傍聴席にいた房太郎は思わず「万歳!」と大声をはりあげた為、守衛に場外に連れ出されるという場面もあった。 淀川治水のため私財をなげうち、生涯清貧を貫いた井戸塀の政治家で、晩年にも陋屋に住んでいた。 葬儀は大阪市葬で大阪市中央公会堂で行われた。墓所は大阪市鶴見区放出東の正因寺。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大橋房太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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