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大橋 訥庵(おおはし とつあん、文化13年(1816年) - 文久2年7月12日(1862年8月7日)は、江戸時代後期の儒学者、尊王論者。諱は正順、通称は順蔵、字は周道、訥庵は号〔『国史大辞典』678頁〕〔『明治維新人名辞典』206頁〕。幕末の尊王攘夷運動に大きな影響を及ぼした。 == 生涯 == === 生い立ち === 文化13年(1816年)、長沼流兵学者の清水赤城の四男として生まれる〔。当初、母方の親族である信濃飯山藩士の酒井力蔵の養子となるが後に離縁している〔〔。天保6年(1835年)、儒学者の佐藤一斎に師事する〔。天保12年(1841年)、江戸日本橋の豪商佐野屋大橋淡雅の娘巻子と結婚し大橋姓を名乗る〔『宇都宮市史』455頁〕〔『栃木県史』1211頁〕。同年、日本橋において思誠塾を開き、子弟に儒学を指導する〔〔。訥庵による指導は好評で、嘉永3年(1850年)には下野宇都宮藩主・戸田忠温の招きにより、月1回江戸藩邸において儒学を教授した〔〔『宇都宮市史』456頁〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大橋訥庵」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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