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大橋 歩(おおはし あゆみ、1940年6月16日 - )は、日本のイラストレーター、デザイナー。週刊「平凡パンチ」の表紙のイラストを創刊号から担当したことで知られる。 夫は、彫刻作家の石井厚生。 ==来歴== 三重県津市出身。三重県立四日市高等学校卒業。1959年、多摩美術大学絵画科油絵専攻入学〔大橋は1年浪人して大学に入学している。(ほぼ日刊イトイ新聞 - じぶんで決めるじぶんの仕事。第2回 )〕。大学3年生の時、河原淳のゼミナールに入る〔大橋歩『トマトジュース』講談社、1972年5月18日発行、72頁。〕。 1963年、イラストレーターを目指していた大橋は、大学4年生の時に同級生の紹介でヴァンヂャケットにデザイン画を持ち込む。そのとき会ったのが石津謙介の長男で企画部長の石津祥介で、その場で「メンズクラブ」のイラストを依頼される。1964年1月、「メンクラ」3ページに初めてイラストが掲載される。その数日後、平凡出版(現 株式会社マガジンハウス)の清水達夫より電話をしてくるようにとの電報を受け取り、絵を持参して訪問、小説の挿絵を依頼される。そして清水よりの依頼で、1964年4月末日発売の「平凡パンチ」5月11日創刊号より表紙を担当することになる。この時、男性週刊誌であるので男のような名前にという事より、「大橋歩」のペンネームがついた〔大橋歩『平凡パンチ大橋歩表紙集』株式会社イオグラフィック、2003年11月20日発行、67頁。〕。表紙のイラストは1971年12月27日号の390号まで担当〔平凡パンチ大橋歩表紙集 イオグラフィック:IOG Shop〕。目次には毎号コラムを掲載していた。1964年3月、多摩美術大学絵画科油絵専攻卒業。 1999年、『anan』の編集長から「玄光社の『イラストレーション』に出ていた版画を見せてもらいたい」という電話が入る。その版画は大橋が初めて手がけた版画だったが、村上春樹の目にとまり、『anan』連載コラム「村上ラヂオ」の挿絵に使われることが決まる〔村上春樹『村上ラヂオ』新潮文庫、2003年7月1日発行、巻末エッセイ 大橋歩「アンアン連載のころ」〕。2000年3月17日号から連載開始。同コラムはのちに大橋の挿絵と共に、『村上ラヂオ』、『おおきなかぶ、むずかしいアボカド 村上ラヂオ2』、『サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3』の3冊の書籍にまとめられた。 2002年10月、企画から取材や編集までのすべてを自身ひとりで手がけた季刊雑誌「Arne(アルネ)」を創刊。創刊号は3000部。5号から初版3万部を発行。そのひと月後には1万部増刷というペースで多くの愛読者を得る。10号(2004年12月15日発行)では「村上春樹さんのおうちへ伺いました。」という10ページにわたる特集記事を組み、話題となった。2009年12月15日発行の30号で同誌を終了させた。 2010年、年2回刊の雑誌「大人のおしゃれ」を創刊〔大人による、大人のための「大橋歩」(勝屋なつみ) 朝日新聞〕。本業の傍ら、書籍(エッセイを含む)も多数出版している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大橋歩」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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