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大橋純子と美乃家セントラルステイション : ミニ英和和英辞書
大橋純子と美乃家セントラルステイション[いえ, け]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はし, きょう]
 【名詞】 1. bridge 
: [じゅん]
  1. (adj-na,n) pure 2. innocent 3. chaste 
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)
: [び]
  1. (n,n-suf) beauty 
: [の]
  1. (prt) (1) (uk) indicates possessive 2. (2) verb and adjective nominalizer (nominaliser) 3. (3) indicates question (sentence end)
: [いえ, け]
  1. (suf) house 2. family 

大橋純子と美乃家セントラルステイション ( リダイレクト:美乃家セントラル・ステイション ) : ウィキペディア日本語版
美乃家セントラル・ステイション[みのや-]

美乃家セントラル・ステイション(みのや-、1976年 結成 - 1980年 解散)は、日本のポップスバンドである。ヴォーカリスト大橋純子のバックバンドとして結成され、佐藤健土屋昌巳が在籍したことで知られる。「美乃屋」表記は誤り。
== 略歴・概要 ==
1973年(昭和48年)当時、ヤマハ音楽振興会ポプコンに関する業務を行なう部署は「L.M制作室」といい、同室長は、編曲者から作曲家となった萩田光雄で、そこに船山基紀や佐藤健が在籍していた。そこで佐藤は、まだ20歳の大橋と出会った〔大橋純子公式サイトの大橋自筆記事「Junkoの自伝的プロフィール 」の記述を参照。〕。やがて1974年6月、22歳の大橋はシンガーとしてデビューする。
1976年(昭和51年)、佐藤は、大橋のバックバンドとして美乃家セントラル・ステイションを結成する。第一期メンバーは、佐藤のほか、見砂和照小田健二郎土屋昌巳滝本大助福田郁次郎高杉登である。
美乃家は、大橋とともに同年の各地の大学の学園祭に招聘され、大橋が「学園祭の女王」と呼ばれるのに貢献した〔大橋純子公式サイトの大橋自筆記事「アルバムレビュー日本フォノグラム編 」の記述を参照。〕。翌1977年4月発売の大橋のサード・アルバム『RAINBOW』以降、「大橋純子&美乃家セントラル・ステイション」とクレジットされる〔。
1979年(昭和54年)、第二期美乃家がスタートする。見砂・土屋らが脱退した後のメンバーは、佐藤、小田のほか、土屋潔マーティン・K・ブレイシー六川正彦後藤輝夫であった。同メンバーで1980年(昭和55年)4月リリースのアルバム『HOT LIFE』を収録し、やがて同年内に解散した〔。1981年(昭和56年)、解散後の大橋のアルバム『Tea For Tears』のアレンジは、萩田が行なった〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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