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大江スミ : ミニ英和和英辞書
大江スミ[おおえ すみ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こう, え, ごう]
 【名詞】 1. inlet 2. bay 

大江スミ : ウィキペディア日本語版
大江スミ[おおえ すみ]
大江 スミ(おおえ すみ、明治8年9月7日1875年9月7日) - 昭和23年(1948年1月6日)は、明治から昭和にかけて活躍した教育家。女子教育の先覚者。東京家政学院(現東京家政学院大学)創立者。長崎県出身。旧姓・宮川

== 経歴 ==

*1875年9月7日(明治8年)宮川盛太郎とカネの二女として長崎県十善寺(現在の長崎市)に生まれる。
*1880年(明治13年)父が宮内省大膳職へ転じたことにより一家は長崎より上京し、の栄町(現在の港区芝公園三丁目)に家を構える。スミは芝鞆絵小学校に入学。
*1889年(明治22年)東洋英和女学校に入学、1894年卒業。東洋英和女学校での生活の影響は大きく、のちに朝礼年中行事東京家政学院に導入している。
*1895年(明治28年)東洋英和女学校教員となる、1897年退職。
*1897年(明治30年)女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)に入学、1901年(明治34年)に卒業。
*1901年(明治34年)沖縄高等師範学校の教諭となる。また、沖縄県高等女学校教員の嘱託ともなる。1902年退職。
*1902年(明治35年)文部省の命により家政研究の視察のため4年間英国へ。しかしロンドンの大学に目指す学科がなかったので、家政師範科のある専門学校バケイシーポリテクニックの家政科に入学。1905年(明治38年)に卒業。留学中は休暇を利用し、イギリス国内の大学、師範学校に加え幼稚園まで幅広く教育機関を見学し、オランダ、ベルギー、ドイツなどにも足をのばしヨーロッパ各地の調査旅行を精力的に行なった。
*1905年(明治38年)私費留学生としてベッドフォード大学の衛生科で社会衛生学を学ぶ。このとき衛生検査員の資格も取得し、台所だけの家政学ではなく、社会の中での新しい家政学を構想した。1906年(明治39年)卒業。帰国。
*1907年(明治40年)女子師範学校教諭兼女子高等師範学校(1908年に東京女子高等師範学校と改称)教授となる。女子師範学校教諭は1909年まで兼務。
*1910年(明治43年)著書『家事実習教科書』(元元堂書房)を刊行
*1911年(明治44年)著書『三ぼう主義』(宝文館)を刊行
*1915年(大正4年)近衛師団経理部長の大江玄寿と結婚、大江姓となる。
*1916年(大正5年)著書『応用家事講義』(宝文館)を刊行
*1917年(大正6年)著書『応用家事教科書』(宝文館)を刊行
*1921年(大正10年)夫大江玄寿没(62歳)
*1923年(大正12年)東京都牛込区市ヶ谷富久町の自宅に家政研究所を開設。
*1925年(大正14年)東京家政学院を開設。東京家政学院校長就任。東京女子高等師範学校を退官。
*1937年(昭和13年)勲四等瑞宝章受章
*1938年(昭和14年)著書『礼儀作法全集』(中央公論社)を刊行
*1939年(昭和15年)藍綬褒章受章
*1941年(昭和16年)共著書『女子礼法』(光生館)を刊行
*戦時中に女子学生に軍事教練を試みたりと軍国主義的な行動のためか、戦後は女子教育界からは外されたが、亡くなるまでの生涯を女子教育の振興にささげた。
*1948年(昭和23年)1月6日(74歳)死去

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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