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大江 忠成(おおえ の ただしげ)は、鎌倉時代前期の武将。鎌倉幕府の評定衆。大江広元の五男。別名海東忠成(かいとう ただしげ)。 == 生涯 == 広元から三河国海東庄を与えられ、海東を名乗る。尾張国の熱田神宮大宮司の養子に入り、承元2年(1208年)大宮司となった〔『中世熱田社の構造と展開』p.146〕〔「張州雑志抄」所収「熱田大宮司系譜」、『大日本史料』6編15冊682頁〕。承久2年(1220年)熱田神宮の大宮司職を辞した〔『中世熱田社の構造と展開』p.146〕が、承久3年(1221年)嫡男の忠茂が幕府の影響力を背景に大宮司となった〔「熱田大宮司千秋家譜」、『中世熱田社の構造と展開』p.154〕。 1245年(寛元3年)、鎌倉幕府の評定衆となり、鎌倉幕府の政務に携わった。しかし、1247年(宝治元年)の宝治合戦で、兄の毛利季光が三浦氏側に味方して敗死したため、それに連座して評定衆を罷免された〔「吾妻鏡」六月十一日条、「関東評定伝」、『大日本史料』5編22冊177頁。〕。 1265年(文永2年)、京都にて没。 忠成の末裔は女系で三河国酒井氏の祖となり、後に松平氏に仕えて活躍する酒井忠次や酒井正親を輩出した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大江忠成」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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