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大江 正路(おおえ まさじ、1852年11月21日(嘉永5年10月10日) - 1927年(昭和2年)4月18日)は、日本の武道家。無双直伝英信流居合術第17代宗家。大日本武徳会居合術範士、剣道教士。 土佐国(現高知県)生まれ。英信流は土佐藩において長谷川流、英信流、長谷川英信流、無雙直傳流、無雙神傳流などとも呼ばれており、大江はこれを無双直伝英信流に統一し、あわせて業の形の統一を図った。明治の世になり、藩外不出だった英信流を全国に広く伝えた。これが英信流の現代居合道の礎になったとされる。また、多くの門弟を育て免許を与えており、これにより英信流に多くの分派が生まれている。 == 経歴 == 剣術は日根野弁治に師事したともいう。居合術は英信流下村派(無双神伝英信流)を修行し、その後、もう一方の分派である谷村派(無双直伝英信流)を第16代五藤正亮に師事しこれを修行した。 明治の世に入り、大日本武徳会が結成されると大江も剣道、居合術において参加する。同時に高知県立第二中学校(のち第一中学校に統合)などで剣道教師を務め、剣道に平行して居合術を教えた。 江戸時代の土佐藩主であった山内家の人間にも英信流を指導しており、山内容堂の孫にあたる山内豊健にもこれを稽古させていた。子爵であろうとも弟子の一人であることに変わりないことから、大江は人前であっても「山内よ、抜いてみよ」と呼びつけるほどであったという。他にも大江は、後の18代、19代となる穂岐山波雄、福井春政他、森繁樹、政岡壹實、山本晴介、甲田盛夫などを直門として育てていている。この高弟らによって、さらなる分派を生んだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大江正路」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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