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大江 維時(おおえ の これとき、仁和4年(888年) - 応和3年6月7日(963年7月5日))は、平安時代の貴族、学者。伊予権守・大江千古の三男。官位は従三位・中納言、贈従二位。 == 経歴 == 大江氏の血だけでなく、祖父大江音人の門弟であった巨勢文雄を外祖父に持ち、早くからその才能を発揮した文章生になったのは29歳であった〔『日本紀略』延喜16年9月28日条によれば、この時の文章生試の題は「高風送秋」であったとされている。29歳での文章生は当時の他の例と比較するとやや遅いものの、そこから文章得業生への選抜の早さから考えると、維時は抜群の才能の持ち主であったことをうかがわせる(井上、2014年、P83)。〕が、わずか1年でその上の文章得業生に選ばれている。 延喜21年(921年)に醍醐天皇の六位蔵人に任じられているが、その在任中から侍読も務め、延長6年(928年)に蔵人の労が評価されて叙爵を受けている。天暦4年(950年)に参議に列すると、天暦9年(955年)に従三位に叙せられ、天徳4年(960年)には73歳で中納言に昇った。 学者としても名が高く、大学助・文章博士・大学頭を歴任して、醍醐天皇・朱雀天皇・村上天皇の侍読を務め、「三代の侍読」と称された(『公卿補任』・『西宮記』12臨時已親旧臣薨去伝)。『日観集』、『千載佳句』を編集。また、唐に留学して中国の兵法『三略』を学び、それを『訓閲集』という120巻の書物に記している。また、日本最古の兵書といわれる『闘戦経』の作者に比定されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大江維時」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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