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大河内 一郎(おおこうち いちろう、1905年11月14日 - 1985年5月22日)日本の医師、医学博士、開業医、社会事業家。茨城県鹿島町(現・鹿嶋市)出身。日本医科大学卒。 私財を投じ、福島県平市(現・いわき市)に、東北・北海道で最初の肢体不自由児施設・福島整肢療護園を開設。 医療と教育を通して、障害者の自立のためにつくした。 == 経歴 == === 生い立ち === 1905年茨城県鹿島町(現・鹿嶋市)生まれ。 父・大河内友蔵は、鹿嶋市で剣道・柔道を教えていた。不二心流の大河内縫殿三郎・門人 藤城吉高、及び大河内正道に同流剣法を学ぶが、その後、正道の養子となり、不二心流五代目免状を受領し、大河内友蔵と名を改める。 鹿島神傳直心陰流・榊原健吉、一刀正傳無刀流・山岡鉄舟のもとでも修行して取立免状を受領する。一郎が3歳の時に、福島県立磐城中学校の武道教師となり、福島県平町(現いわき市平)に移住する。 幼少の頃からこの父の厳しい剣道の指導を受ける。 1931年に日本医科大学を卒業、医師免許を取得した後、1934年に大河内医院(整形外科)を平町才槌小路にて開業。1939年に満州国に渡りハルピン病院に1年3ヵ月勤務するも日本に帰国して、1943年に日本医科大学の医学博士の学位を取得する。論文の題は「種々なる姿勢における脊柱の変化ならびに呼吸瓦斯代謝の影響に就いて」〔博士論文書誌データベースによる〕。翌1944年軍医として応召、フィリピン方面に向かう。1945年フィリピン・ルソン島にて終戦を迎えるが、敵軍に捕らわれないように数か月間森林の中で逃避するが俘虜となる。この間、軍医として前線で活動するも次々と若い兵士が亡くなる光景を目の当たりにして、医者としての自分の無力さを感じる。2年後日本に帰国。1961年に大河内病院(現:内郷御厩町)を設立する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大河内一郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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