翻訳と辞書
Words near each other
・ 大河原駅 (神奈川県)
・ 大河城
・ 大河小説
・ 大河希賞
・ 大河平事件
・ 大河平城
・ 大河平才蔵
・ 大河平氏
・ 大河平隆利
・ 大河平隆次
大河平隆重
・ 大河望
・ 大河村
・ 大河村 (愛知県)
・ 大河村遺跡
・ 大河正明
・ 大河津分水
・ 大河津分水路
・ 大河津分水騒動
・ 大河津可動堰


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

大河平隆重 : ミニ英和和英辞書
大河平隆重[おこびら たかしげ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

大河 : [たいが]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
: [おも]
  1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important

大河平隆重 : ウィキペディア日本語版
大河平隆重[おこびら たかしげ]

大河平 隆重(おこびら たかしげ、永禄2年(1559年)? 永禄7年(1564年)? - 慶長3年11月18日1598年12月16日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての薩摩国島津氏の家臣で、大河平氏の庶流。通称は源太左衛門。父は大河平隆堅。子は隆商隆尚
大河平氏は、元は日向国戦国大名北原氏の家臣であったが、北原氏は伊東氏に領地を簒奪され、また大河平氏も、永禄7年(1564年)に居城の今城を伊東氏に攻撃され、城兵全員が討ち死にし断絶となった(後に大河平3代・隆次の姉婿により再興)。隆重は落城のとき6歳で、そのまま伊東氏により捕らわれの身となったが、8歳になったときに島津義弘が送り込んだ商人(商人に扮した大河平の家人とも)により救い出された。隆重は成長すると、そのまま義弘の家臣となった。
文禄元年(1592年文禄の役に参加する義弘に従い朝鮮へ渡海、南原城の戦い泗川の戦いで武功を上げた。しかし慶長3年(1598年)、露梁海戦の折に敵船に飛び移って戦い、討ち死にを遂げた。法名は「称念浄心居士」。
本藩人物誌』は享年を35とする。それを信じれば永禄7年(1564年)生まれとなるが、一方で前述の通り永禄7年の時点で6歳ともしており、その場合は永禄2年(1559年)生まれとなるため矛盾が生じる。
==参考文献==

*『本藩人物誌』 鹿児島県史料集(13)(鹿児島県史料刊行委員会)




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大河平隆重」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.