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(n) Lord Chancellor =========================== ・ 大法 : [たいほう] (n) basic law ・ 大法官 : [だいほうかん] (n) Lord Chancellor ・ 法 : [ほう] 1. (n,n-suf) Act (law: the X Act) ・ 法官 : [ほうかん] (n) judge ・ 官 : [かん] 【名詞】 1. government service 2. the bureaucracy
大法官(だいほうかん、Lord Chancellor)は、イングランド・イギリスの役職である。かっては、イギリス上院(貴族院)議長を兼ねていたが、現在は枢密院と内閣の一員である。 == 歴史 == その由来はエドワード懺悔王の11世紀中頃に遡ると言われている(異説としては7世紀説、ノルマン朝説がある)。始めは国王の書記長として王政庁を指揮するとともに、国璽の管理と国璽を必要とする法令等の作成・発給などの行政事務を行った。中世には一般庶民はおろか貴族階級の間でも識字率が低かった事もあり、歴代大法官の多くは聖職者などから起用される事が多かった(聖職者が兼務する場合には宮廷の礼拝堂を併せて管轄したとされる。また「Lord Chancellor」という呼称は「cancelli」(=「囲い格子」)に由来し、宮廷の礼拝堂の衝立の後方に大法官の執務の間が設置されていたからであるという説がある)。 プランタジネット朝以後、国王の行動範囲が拡大されて国王の滞在地とともに移動してきた王政庁の中で大法官の職務を維持することは次第と困難になり、やがて13世紀には王政庁の文書局部門とともに独立して、ロンドンのウェストミンスターに大法官府(Lord Chancellor's Department)と呼ばれる常設官庁として設置されるに至った。この時代にはその職務柄ゆえに国王の宰相としての職務を行うようになる一方で、大法官府自体は単なる事務官庁と化してしまい、大法官本来の職務の重要性は低下するようになった。 14世紀に入ると、コモン・ローによって救済を得られなかった者から国王に対してなされた直接の請願・訴えを処理する大法官裁判所が併置され、衡平法裁判所としての役割を果たす。更に15世紀にイングランド議会が上下両院に分かれると、上院(貴族院)の議長を兼務するようになった。この頃から、コモン・ローに精通した法律家が大法官になるケースが増えていき(その第一号はトマス・モアだといわれている)、1625年以後は聖職者の大法官は姿を消す。 だが、一方で巨大となった大法官の権限削減の動きが現れる。まず、財政部門が切り離されて「財務府」(現在のイギリス財務省)が独立した。「大蔵府」(「財務府」の一部が分離して成立、王室の財政を司る)の長である第一大蔵卿が首相として内閣を率いて国政の最高責任者としての地位を大法官から奪った(1721年)。更に1873年の「裁判所法」制定に伴う司法改革によって、大法官府を縮小され、高等法院と上院に権限が分割され、上院が最終上級裁判所(最高裁判所)を形成し、上院議長である大法官がその長官を兼務して、治安判事以下の司法官の人事権者となった。国璽管理事務は閣僚の王璽尚書が扱うことになった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大法官」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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