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大津浪記念碑(おおつなみきねんひ)とは、大津波の被害をうけた地域の住民が、子孫への警告として設置した災害記念碑。 「何年の津波は、ここまで到達し、どれだけの死亡者が出た」等、災害の被害状況や、津波の到達した地点など具体的な情報を伝え、警告を記す。津波被害の多かった三陸海岸に特に多く、約200基が見られるが、他地方にも存在する。 == 各地の石碑 == === 岩手県宮古市重茂姉吉地区の石碑 === 1933年(昭和8年)の昭和三陸地震による津波の後で、岩手県宮古市重茂姉吉地区に建てられた。重茂半島のとどヶ崎の南西約2kmの所にある姉吉漁港から、急坂を800m程上がった海抜約60mの山腹にある。大きさは縦約1.5m、横約50cm。 碑面はこの地区に来襲した1896年(明治29年)の明治三陸地震による津波、及び前述の昭和三陸地震により村民がほとんど全滅した悲惨な状況を伝え「津波は、ここまで来る。ここから下には、家を作ってはならない」と警告する。 2011年(平成23年)に発生した東北地方太平洋沖地震による津波は、この石碑の約50m〔約70mと報じているものもある。〕手前にまで迫ったが、石碑の警告どおり上にあった集落までには至らず、建物被害はなかった。また、地震発生時に海岸近くにいた住民も、すぐに自宅に戻って難を逃れた。この事実が報道によって広まり、津波記念碑があらためて注目されるきっかけとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大津浪記念碑」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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