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大津淳一郎 : ミニ英和和英辞書
大津淳一郎[おおつ じゅんいちろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いち]
  1. (num) one 

大津淳一郎 : ウィキペディア日本語版
大津淳一郎[おおつ じゅんいちろう]

大津 淳一郎(おおつ じゅんいちろう、安政3年12月23日1857年1月18日) - 昭和7年(1932年1月29日〔『官報』第1527号、昭和7年2月4日。〕)は、日本の衆議院議員立憲改進党進歩党憲政党憲政本党立憲同志会憲政会立憲民政党)、貴族院勅選議員大東文化学院総長(第6代)などを歴任した。
==経歴==
常陸国多賀郡折笠村(現在の茨城県日立市)出身。水戸で漢学を修めた後、江戸に遊学した。明治10年(1877年)、小学校の教員となるが、まもなく退職した。その後、板垣退助の民権論にふれ、明治12年(1879年)から水戸で政談演説会を開いて、自由民権運動を推し進めた。このころ片岡健吉河野広中らと親交を結び、興民公会という政社をおこした。翌年、大阪で開かれた国会期成同盟大会に参加し、ついで東京で開かれた自由党準備会に参加したが、意見が合わずに茨城に帰郷した。
帰郷後は茨城日日新聞を創刊し、主筆となった。その後、茨城県庁に出仕し、さらに明治15年(1882年)には県会議員に選出された。やがて県会議員を辞し、明治18年(1885年)に再び茨城県庁に入って兵事課長を務めた。明治23年(1890年)、県庁を退職し、東北物産会社の社長となった〔『日本帝国国会議員正伝』p.435〕。
同年の第1回衆議院議員総選挙に立憲改進党から出馬し、当選。以後、13回当選を重ねた。その間、大蔵副参政官、文部参政官を務めた。昭和2年(1927年)、貴族院議員に勅選され、立憲民政党相談役〔『大阪朝日新聞』1927年6月3日付 神戸大学デジタルアーカイブ〕、顧問を務めた。また昭和3年(1928年)には大東文化学院総長に就任した。昭和7年(1932年)、議員・総長在職中に死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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