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大津 美子(おおつ よしこ、1938年1月12日 - )は、日本の歌手。 ==人物== 愛知県豊橋市出身。私立桜ヶ丘高校卒業。 1953年、キングレコード専属作曲家だった渡久地政信に弟子入り。この頃は、毎週土曜日に夜行電車に乗り上京し、翌日の昼のレッスンを受け帰郷するという生活を続けていた。 1955年7月、キングレコードから「千鳥のブルース」でデビュー。デビュー2ヵ月後の9月に発売した「東京アンナ」が大ヒット。 「東京アンナ」がヒットしている最中、恩師渡久地がビクターに移籍した。これにより落胆する大津にキング文芸部長だった町尻量光は、同社作曲家だった飯田三郎を紹介し、以後、飯田は大津を指導することになる。 1956年、師である飯田が作曲し高橋掬太郎が作詞した同名映画の主題歌「ここに幸あり」が空前の大ヒット。ハワイ、ブラジルなどの多くの日系人の間で今日まで愛唱されている。 NHK紅白歌合戦に7回出場している(詳細は下記参照)。 1969年、実業家と結婚。 1980年、脳動脈破裂(くも膜下出血)により倒れるが、奇跡のカムバックを遂げた。 1995年から1997年まで社団法人日本歌手協会副会長に選出。 2005年、歌手生活50周年を迎え、記念のBOXセット「大津美子大全集」を発売。「ここに幸あり」「東京は恋人」などの往年のヒット曲をオーケストラとの共演で新録音している。 2014年7月、歌手デビュー60周年目を迎え地元愛知県で収録されたNHKBS日本のうたにスペシャル・ステージ枠で出演。(共演は後輩の市川由紀乃、竹島宏)自身のヒット曲「東京アンナ」「東京は恋人」「銀座の蝶」「いのちの限り」などをメドレーで披露した他、思い出のヒット曲として「白い桟橋」「ここに幸あり」を熱唱した。 現在でも、そのダイナミックなアルトの歌声は健在で、新曲発売や公演、テレビ出演など精力的に活動を続けている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大津美子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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