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大澤 哲三(おおさわ てつぞう、1946年11月26日 - 2010年10月10日〔マーブリング・ファインアーツ お知らせ 〕)は、マーブリング・ファインアーツ所属の日本映画の美術監督、日本映画美術監督協会会員。 == 経歴 == 中華人民共和国北京市にミシン工場を経営している父親の長男として生まれる。終戦後、ギリギリのタイミングで復員船に乗り込み母親の実家の大阪府大阪市に移り住む。武蔵野美術大学を経て1967年春に円谷プロダクションと契約し、操演部のスタッフとして『快獣ブースカ』を担当。成田亨、池谷仙克に師事し、『ウルトラセブン』で特撮美術助手、『怪奇大作戦』では美術助手(本編と特撮を兼任)を務める。1971年、『帰ってきたウルトラマン』の中盤まで美術デザイナーとして参加した後、『ミラーマン』で美術監督に昇格。 創立時のコダイグループ(現:株式会社コダイ)にも参加しており、実相寺昭雄の監督作品の『無常』(1970年、ATG)『曼荼羅』(1971年、ATG)で美術助手を担当していた〔『宇宙船』No.131(ホビージャパン)追悼特集における池谷仙克のコメントより(p126)〕。 70年代後半からは『ミラーマン』などの円谷作品で一緒に仕事をした矢島信男の誘いで矢島の主催する特撮研究所の中心的な美術スタッフになり、1980年代半ばまでのほとんどの特撮研究所の作品(スーパー戦隊シリーズ、メタルヒーローシリーズ、『宇宙からのメッセージ』『里見八犬伝』など)に特撮美術デザイナーとして参加。 その後、美術制作会社マーブリング・ファインアーツに入社し『帝都物語』『ガンヘッド』などを手がけたのち、東宝特撮の第二の黄金時代といわれる平成ゴジラシリーズ(vsシリーズ)の『ゴジラvsビオランテ』から『ゴジラvsデストロイア』の全作品に特撮美術のチーフデザイナーとして参加した。 大澤はカメラのアングル上の死角になる部分の特撮セットのミニチュアを省略することで効率化することを得意としていた。この大澤の手法は矢島信男の影響によるものが大きい。大澤のこうした手法による特撮セットを大澤自身は「疑似立体」とよび〔『ミラーマン大全』(双葉社)インタビューより。〕、この手法は「(大澤の)飾りこみのマジック」と評されることもあった〔『ミラーマン大全』(双葉社)p61など。〕。 大澤が手がけた時期の平成ゴジラシリーズ(vsシリーズ)の内容は登場怪獣やメカが多く、怪獣も多数の場所に出現するという盛りだくさんな内容であったが、前述の大澤の手法によってこそ、こうした内容の映像化が可能だったとする関係者の証言がある。〔『宇宙船』No.131(ホビージャパン)追悼特集における高橋勲や三池敏夫の発言より(p129)〕 2010年10月10日、死去。。劇場作品『ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦!ベリアル銀河帝国』が遺作となった〔『ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦!ベリアル銀河帝国』劇場パンフレットより。〕。また、前述の映画でスタッフロールが流れ終わった直後に、追悼のテロップが表示された。2011年1月11日発売の特撮雑誌『宇宙船』No.131(ホビージャパン)にて追悼特集が組まれ、多くの関係者が大澤を悼むコメントを寄せている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大澤哲三」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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