翻訳と辞書
Words near each other
・ 大澤宏一
・ 大澤宏一郎
・ 大澤定永
・ 大澤寛之
・ 大澤寧工
・ 大澤寺
・ 大澤寺 (曖昧さ回避)
・ 大澤寺 (滋賀県)
・ 大澤寺 (牧之原市)
・ 大澤寺 (長浜市)
大澤寿人
・ 大澤屋
・ 大澤幸生
・ 大澤幹朗
・ 大澤広樹
・ 大澤弘子
・ 大澤徹訓
・ 大澤恵
・ 大澤慶己
・ 大澤慶巳


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

大澤寿人 : ミニ英和和英辞書
大澤寿人[ひと]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

寿 : [ことぶき]
 【名詞】 1. congratulations! 2. long life! 
: [ひと]
 【名詞】 1. man 2. person 3. human being 4. mankind 5. people 6. character 7. personality 8. true man 9. man of talent 10. adult 1 1. other people 12. messenger 13. visitor 1

大澤寿人 ( リダイレクト:大澤壽人 ) : ウィキペディア日本語版
大澤壽人[おおさわ ひさと]

大澤 壽人(おおさわ ひさと、1906年8月1日 - 1953年10月28日)は日本昭和時代前期に活動した作曲家指揮者兵庫県神戸市出身。
==生涯==
神戸に生まれ、少年のころより独学ないし教会に通う外国人から音楽を学んだ。1930年(昭和5年)、関西学院高等商業学部卒業後すぐにアメリカに渡り、ボストン大学およびニューイングランド音楽院に入学、ピアノや作曲を学びながら作品の発表を行う。1933年(昭和8年)には日本人としては初めてボストン交響楽団を指揮する。1934年(昭和9年)、フランスに渡ってエコールノルマル音楽院に入学し、ポール・デュカスナディア・ブーランジェに師事する。交響曲第2番やピアノ協奏曲第2番などを発表し、様々な音楽家から高い評価を得た。1936年(昭和11年)に日本へ帰国し、世界の最先端の音楽を学んだ作曲家・指揮者として活躍する。
戦後はボストン・ポップス・オーケストラなどに範をとった後、自らセミ・クラシックの楽団(大阪・ラジオシンフォネット)を組織し、ラジオを通じて活発な啓蒙的音楽活動を行った。その傍らで神戸女学院大学音楽科で教鞭を執ったり映画や宝塚歌劇団などへの音楽の提供など精力的な活動を行い、1951年(昭和26年)に開局した朝日放送(ABC)の専属指揮者に就任する。ABCラジオ専属時代は毎週締め切りに追われ、多忙な日々を過ごしたが1953年(昭和28年)10月28日に脳溢血のため急逝。父親の郷里である愛媛県新居浜市に墓がある。
生年については長らく「1907年(明治40年)生」とされていたが、後年の研究によって正しくは「1906年(明治39年)生」であることが戸籍謄本により確認された〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大澤壽人」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Hisato Ohzawa 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.