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大澤慶己 : ミニ英和和英辞書
大澤慶己[き, つちのと]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [き, つちのと]
 【名詞】 1. 6th in rank 2. sixth sign of the Chinese calendar

大澤慶己 ( リダイレクト:大沢慶巳 ) : ウィキペディア日本語版
大沢慶巳[おおさわ よしみ]
大沢 慶巳(おおさわ よしみ、1926年3月6日-)は、日本の柔道家早稲田大学名誉教授柔道で事実上の最高段位となっている十段の所有者(120年以上の柔道の歴史のなかで2006年現在、過去を含めて十段所有者は15名のみ)。柔道が初めて五輪正式種目となった1964年東京オリンピックの柔道競技コーチ、全日本柔道連盟国際試合選手強化委員会(女子)委員長、講道館女子部部長、早稲田大学柔道部師範、早稲田大学人間科学部教授を歴任。今日の日本および世界の柔道の隆盛にも大きく貢献した。2006年、早稲田大学スポーツ功労者表彰。
== 略歴 ==
1926年千葉県佐倉市に生まれる。1938年旧制千葉県立佐倉中学(現在の千葉県立佐倉高等学校)入学後、柔道と出会う。1941年講道館に入門すると一週間後に初段を取得、その後も順調に昇段を重ねた。早稲田大学専門部経営科へ進学、柔道部主将を務める。卒業後は講道館研修員、早大講師、同大教授を歴任。戦時下、占領下にその選手時代を過ごしたために大会や試合自体に恵まれなかったが、1948年の秋にはその年の全日本選手権覇者である松本安市移腰で破っている。1949年5月5日には全日本選手権へ初出場し8強に進出(優勝は大沢を破った木村政彦石川隆彦)、以降も167cm,67kgという小柄な体ながら、絶妙の体捌きから繰り出される体落や内股透、「講道館の足」「天下一」と呼ばれた足技を武器に全日本選手権には計5回出場し、1952年にも8強入りを果たしている。なお、その変化に富んだ技・素早い動きから「今牛若丸」「昭和の小天狗」などと呼ばれた。
2006年1月8日、講道館の鏡開式で昇段が発表され、醍醐敏郎,安部一郎とともに十段に昇段した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大沢慶巳」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Yoshimi Osawa 」があります。




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