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大澤 茂樹(おおさわ しげき、1986年5月2日 - )は、日本の男性総合格闘家、レスリング選手。茨城県牛久市出身。Honey Trap所属。 == 来歴 == 小学5年生からレスリングを始め、全国中学生最優秀選手、霞ヶ浦高校に進学し全国大会3冠を達成し全国最優秀選手、山梨学院大学進学後は1年生で大学選手権を制覇し、シニアの大会でも優勝するなどレスリングの名門校を渡り歩き数々のタイトルを獲得。最激戦区、レスリングフリースタイル60kg級で北京オリンピック銅メダリストである湯元健一、高校の1学年上の先輩でもある2006年世界選手権銅メダリスト高塚紀行とともに「3強」と呼ばれていた〔【特集】“オレ流”大沢茂樹(山梨学院大)、王者の試練を乗り越えて再び頂点へ 日本レスリング協会公式サイト〕。 2008年7月15日、真騎士とともに戦極育成選手(現・SRC育成選手)として契約を発表〔レスリングエリートの大澤&留学生マキシモが戦極育成選手に! 格闘技ウェブマガジンGBR 2008年7月15日〕。 2009年4月5日、総合格闘家デビュー。パンクラスで松井英夫と対戦し、判定勝ち。 2009年5月2日、戦極に初参戦し戦極 〜第八陣〜オープニングファイトで石橋幸太と対戦し、判定勝ち。 2009年6月、戦極G!杯のフェザー級(-65kg)に出場。準決勝で岸貴之に判定勝ち。8月2日、戦極 〜第九陣〜でオープニングファイトとして行われた決勝では原井徹と対戦し、右ストレートでダウンを奪うとパウンドで追撃しTKO勝ち、優勝を果たした。9月23日の戦極 〜第十陣〜ではオープニングファイトで行われた「戦極G!杯 日韓対抗戦」に登場、キム・ギヒョンに判定勝ちを収めている。 2009年11月7日、初めての本戦出場となった戦極 〜第十一陣〜でロニー・牛若と対戦し、判定負けを喫した。 2010年3月7日、SRC12でカン・ギョンホと対戦し、判定勝ち。この試合より吉田道場所属としてではなく、SRC育成選手としての出場となった〔【SRC戦極】吉田秀彦の引退試合はどうなる?所属事務所との絶縁を宣言 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年2月19日〕。 2010年6月20日、SRC13で戸井田カツヤと対戦。3R1分35秒、戸井田のローブローで大澤が続行不可能となり反則勝ちとなったが〔【SRC戦極】最強チャンピオン誕生!サンドロが金原を僅か38秒でKO、王座を奪取(2) 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年6月20日〕、試合後に戸井田の提訴があり協議の結果7月28日にノーコンテストに変更された〔【SRC戦極】6・20大澤茂樹VS戸井田カツヤの一戦はノーコンテストに! 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年7月28日〕。 2010年10月3日、1年半ぶりの参戦となったパンクラスで斉藤正臣と対戦し、左フックでダウンを奪ったところにパウンドで追撃しTKO勝ちを収めた〔【パンクラス】衝撃のメインイベント!北岡悟が一本勝ち後にパンクラス退団を発表(1) 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年10月3日〕。11月3日、パンクラスで鹿又智成に0-0の判定ドロー〔【パンクラス】ISAOが強豪ウマハノフを相手に一本勝ち!坂口憲二も祝福だ 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年11月3日〕。 2011年2月19日、初参戦となったシュートボクシングで鈴木博昭と対戦し、0-3の判定負けを喫した〔【シュートボクシング】宍戸がボーウィーに執念のリベンジ!弘中、大澤は共に敗れる 格闘技ウェブマガジンGBR 2011年2月19日〕。 2011年6月、SRCの活動停止に伴いSRC育成選手契約を解除した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大澤茂樹」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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