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大瀬川 半五郎(おおせがわ はんごろう、本名:石崎 賢四郎(いしざき けんしろう)、1927年2月1日-?)は、青森県弘前市出身で、伊勢ヶ濱部屋(一時、荒磯部屋)に所属した大相撲力士。最高位は西前頭6枚目(1957年11月場所)。現役時代の体格は179cm、115kg。得意手は右四つ、寄り。 == 来歴・人物 == 地元・弘前市の小学校を卒業後上京し、海運関係の企業に勤めていたが、とある人物から楯山親方(元関脇・幡瀬川)を紹介された事を切っ掛けに角界入りを決意。楯山が所属する伊勢ヶ濱部屋へ入門し、1942年5月場所で初土俵を踏んだ。 2年後、本名でもある「石崎」の四股名で序ノ口に付き、程なく故郷の地名(弘前市)と自身の前職(海運業)に因んだ「弘ノ海」へ四股名を改めた(その後、再び本名に戻している)。 新十両昇進を果たした1951年5月場所より再び「弘ノ海」を名乗ったが、翌場所、楯山の現役名・幡瀬川から2字を取って「大瀬川」へ改名。以後、引退までこの名で通した。 序ノ口から10年近くを要して、1954年3月場所で新入幕。出世は決して早い方では無かったが、以後は持ち前の柔らかい体を利した寄りを武器に、幕内中位から十両で長く活躍した。 全盛期は1957年後半から1959年初めまでのおよそ1年半で、この時期は、前頭1桁台で6場所も相撲を取っている。しかし、横綱・大関陣との対戦圏内への進出は惜しくも果たせなかった。 1959年7月場所を最後に幕内から遠ざかり、以降は永く十両に在ったが、幕下5枚目まで陥落して初日から休場した1962年5月場所を以って引退。この時、初土俵から丸20年、35歳となっていた。 引退後は元関脇・備州山(同年3月逝去)の後を受けて年寄・桐山を襲名し、伊勢ヶ濱部屋付きの親方として後輩達を指導した。 だが、1968年9月場所後に日本相撲協会を去り、以後は岡山市で相撲料理の店を営んでいた。 その後、病没したという情報があるが、享年および没年月日は判明していない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大瀬川半五郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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