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大炊御門 嗣雄(おおいのみかど つぐお)は鎌倉時代末期の公卿。非参議従二位。本名は冬実。太政大臣大炊御門信嗣の二男、母は惟宗昌俊の娘。 家嫡であった異母兄良宗よりも長命であった。 == 経歴 == 以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』の内容に従って記述する。 文永2年(1265年)11月8日、従五位下に叙せられる。文永3年(1266年)2月1日、侍従に任ぜられる。文永4年(1267年)2月27日、従五位上に昇叙。文永6年(1269年)1月5日、正五位下に昇叙。文永7年(1270年)1月21日、伊予権介に任ぜられる。同年閏9月4日、従四位下に昇叙。侍従は元の如し。文永8年(1271年)7月2日、従四位上に昇叙〔5月6日に六条殿への行幸時の院司による。〕。文永11年(1274年)2月20日、右少将に任ぜられる。同年10月3日、左中将に転任。建治元年(1275年)1月6日、正四位下に昇叙〔院当年御給。〕。建治2年(1276年)1月23日、播磨介を兼ねる。同年5月26日、春宮権亮を兼ねる。建治3年(1277年)12月4年、春宮権亮を辞した。弘安9年(1286年)閏12月16日、左中将を辞した〔この時はまだ冬実。〕。徳治2年(1307年)8月23日、大納言であった兄良宗が薨去〔冬実から嗣雄への改名は兄良宗の薨去が契機と推測される。〕。 延慶2年(1309年)12月30日、従三位に叙せられる。延慶4年(1311年)3月20日、父信嗣が薨去。正和3年(1314年)1月5日、正三位に昇叙。正和5年(1316年)11月23日、従二位に昇叙。正中2年(1325年)9月、出家。同年10月23日、薨去。享年は60〜64と推測される。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大炊御門嗣雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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