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大炊御門 師経(おおいのみかど もろつね)は、平安時代末期から鎌倉時代中期の公卿。右大臣正二位。大炊御門と号す。実父は左大臣藤原経宗。 == 経歴 == 兄の藤原頼実には実子はいたが、その養子になる。元治2年(1186年)に12歳で従五位下に初叙される。その後侍従、左近衛少将、加賀権介、中宮権亮、長門権守、右近衛中将を経て、建仁2年(1202年)7月23日に従三位となり公卿に列せられる(この時右近衛中将を辞任)〔「公卿補任」による。〕。翌建仁3年(1203年)10月24日に正三位〔。建仁4年(1204年)1月13日に左近衛中将。元久2年(1205年)11月24日に権中納言〔。元久3年(1206年1月17日に従二位〔、建永2年(1207年)1月5日に正二位〔、承元2年(1208年)7月9日に中納言〔と土御門朝において速い速度で昇進する。承元3年(1209年)4月14日には春宮大夫となったが〔、順徳天皇即位に際してこれを辞している〔。 承元5年(1211年)1月18日に権大納言〔、建保7年(1219年)3月4日に大納言〔、承久の乱の後も貞応元年(1222年)8月13日に太政大臣に転じた西園寺公経の後任として内大臣となる〔。元仁元年(1224年)12月25日に右大臣〔。なお、息子の家嗣も父が大納言、内大臣、右大臣に昇進した年に、それぞれ権中納言、正二位、中納言に昇進しており、嘉禄3年(1227年)4月2日に上表により右大臣を辞任して九条教実に譲った直後の4月9日には権大納言に昇進している〔。その後は長く太政官の官職に就く事なく、既に家嗣が出家した後の建長8年(1256年)7月に出家、正元元年(1259年)8月15日に薨去。享年85。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大炊御門師経」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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