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大牧 冨士夫(おおまき ふじお、1928年 - )は、日本の文学研究者・郷土史研究者・小説家。 1928年(昭和3年)、岐阜県の揖斐川上流、旧徳山村漆原(下開田地区)に生まれ育つ。太平洋戦争末期を新潟県の村松陸軍少年通信兵学校で過ごす。戦後は、岐阜大学卒業後、岐阜市での業界紙記者づとめなどをへて、故郷の徳山村の小・中学校で教鞭をとる。この間、中野重治に関する論文を『新日本文学』などに発表する。そのかたわら、郷土史に興味を寄せ、『徳山村史』の編集執筆などにたずさわる。1985年(昭和60年)、徳山ダム建設に先立ち、徳山村を離村。1980年に『中野鈴子全詩集』の解題、年譜を書いて編集に加わった。離村後も、中野鈴子(中野重治の妹)研究の第一人者として活発な文芸活動を行い、同人誌『遊民』に参加して、現在に至る。 出典:『中野鈴子 付遺稿・私の日暮し、他』裏書経歴、同人誌『遊民』、本人からの聞き取り調査。 == 著書 == *『徳山村史』(共著) *『郷土資料── 揖斐郡徳山村方言』(岐阜大学教育学部の編集発行) *『たれか故郷をおもわざる』(ブックショップマイタウン、1990) *『徳山ダム離村記』(ブックショップマイタウン、1991) *『研究中野重治』(共著) *評論集『三頭立ての馬車』(共著) *『中野鈴子 付遺稿・私の日暮らし、他』幻野工房、1997 *『ぼくの家には、むささびが棲んでいた ——徳山村の記録』(編集グループSURE) *『あのころ、ぼくは革命を信じていた ――敗戦と高度成長のあいだ』(編集グループSURE) *『ぼくは村の先生だった──村が徳山ダムに沈むまで』(編集グループSURE) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大牧冨士夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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