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大田区の町名 : ミニ英和和英辞書
大田区の町名[おおたくのちょうめい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [く]
 【名詞】 1. ward 2. district 3. section 
: [まち]
 【名詞】 1. (1) town 2. (2) street 3. road 
町名 : [ちょうめい]
 (n) name of a town or street
: [な]
 【名詞】 1. name 2. reputation 

大田区の町名 : ウィキペディア日本語版
大田区の町名[おおたくのちょうめい]

本項大田区の町名(おおたくのちょうめい)では、東京都大田区に存在する、または過去に存在した町名を一覧化するとともに、明治時代初期以来の区内の町名の変遷について説明する。
== 大田区の前史と行政区画の移り変わり ==

東京都大田区は、昭和22年(1947年)3月15日、従前の大森区蒲田区の区域をもって成立した。「大田」は大森と蒲田から1字ずつ取った合成地名である。以下、明治時代初期から大田区成立までの行政区画の変遷について略述する。
現在の大田区の区域は、かつては武蔵国荏原郡に属し、明治2年から4年(1869 - 1871年)までは品川県に属していた。荏原郡の区域は、現在の品川区・大田区・目黒区のほぼ全域と世田谷区の一部に相当する。
明治4年7月(1871年8月)、廃藩置県が実施された。同年11月(1872年1月)、従来の東京府、品川県、小菅県が廃止されて、新しい東京府が設置され、荏原郡の区域は東京府に属することとなった。同時に府内は6大区・97小区に分けられた(いわゆる大区小区制)。明治7年(1874年)3月、区割りが見直され、あらためて11大区・103小区が設置された。後に大田区となる区域は、このうちの第7大区第3・4・5小区に属していた。
その後、郡区町村編制法の施行に伴い、大区小区制は廃止され、明治11年(1878年)11月2日、東京府下に15区6郡(荏原、南豊島、北豊島、東多摩、南足立、南葛飾)が置かれた。後に大田区となる区域は、このうちの荏原郡に属していた。
明治22年(1889年)、市制町村制が施行され、東京市(15区からなる)が成立、府下の6郡は、既存の町村が整理統合されて85町村となった。このうち荏原郡に属していたのは1町(品川町)18村であり、現在の大田区の区域に該当するのは大森村、入新井村、馬込村、池上村、調布村、蒲田村、矢口村、六郷村、羽田村の9村である。これら9村は明治30年(1897年)から昭和3年(1928年)の間に相次いで町制を施行し、大森町入新井町馬込町池上町東調布町蒲田町矢口町六郷町羽田町となった。
昭和7年(1932年)10月1日、東京市は周辺の5郡(荏原、北豊島、豊多摩、南足立、南葛飾)に属する82町村を編入し、いわゆる大東京市が成立した。なお、従前の6郡のうち、南豊島郡と東多摩郡が明治29年(1896年)に合併して豊多摩郡となっている。編入された82町村は20区に編成され、東京市は既存の15区と合わせ、35区から構成されることとなった。大田区の前身である大森区と蒲田区はこの時に成立したもので、大森町、入新井町、馬込町、池上町、東調布町の区域が大森区、蒲田町、矢口町、六郷町、羽田町の区域が蒲田区となった。
昭和18年(1943年)7月1日、東京府と東京市が廃止されて、新たに東京都が設置された。この時、大森区、蒲田区を含む35区は東京都直轄の区となった。昭和22年(1947年)3月15日、前述のとおり、これら2区の廃置分合により大田区が成立した。
== 旧大森区の町名 ==
旧大森区に該当する区域は、明治11年(1878年)の郡区町村編制法施行の時点では、荏原郡に属する大森、不入斗(いりやまず)、新井宿、馬込、池上、石川、雪ヶ谷、市野倉、桐ヶ谷(馬込領桐ヶ谷)、堤方、下池上、徳持、久ヶ原、道々橋、鵜ノ木、嶺、下沼部、上沼部の18村に分かれていた。このうち大森村は明治5年(1872年)に西大森村・東大森村・北大森村が合併して成立したもので、他の村は江戸時代から存在したものである。桐ヶ谷村は荏原郡内にあった同名の村(品川領桐ヶ谷村)と区別するため、馬込領桐ヶ谷村と呼ばれていた。久ヶ原村は馬込領久ヶ原村(上知久ヶ原村)と六郷領久ヶ原村があったが、両者は明治5年に合併している。
明治22年(1889年)の市制町村制施行に際し、上記18村は荏原郡大森村、入新井村、馬込村、池上村、調布村の5村に編成された。このうち、入新井村は不入斗村と新井宿村が合併、池上村は池上、石川、雪ヶ谷、市野倉、桐ヶ谷、堤方、下池上、徳持、久ヶ原、道々橋の10村が合併、調布村は鵜ノ木、嶺、下沼部、上沼部の4村が合併して成立したものである。大森村と馬込村は明治22年以降も単独で村制を継続した。なお、旧池上村の一部は馬込村に編入され、鵜ノ木村の飛地(字沖島)は調布村と矢口村(後に蒲田区となる)に編入された。
大森、入新井、馬込、池上、調布の5村は以下のとおり町制を施行した。
*大森村 明治30年(1897年)町制 大森町
*入新井村 大正8年(1919年)町制 入新井町
*馬込村 昭和3年(1928年)町制 馬込町
*池上村 大正15年(1926年)町制 池上町
*調布村 昭和3年(1928年)町制 東調布町
昭和7年(1932年)、これら5町が合併して大森区となった。
以下は、明治22年(1889年)以前の旧村名、同年の市制町村制施行時点の大字名、昭和7年(1932年)の大森区成立時の町名の対照表である。

大田区では、1964年から順次区内の住居表示が実施され、1970年までに埋立地を除く全域の住居表示実施が完了している。以下は、旧大森区の地域の、住居表示実施直前の1963年現在の町名と現行町名の対照表である。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大田区の町名」の詳細全文を読む




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