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大田山 一朗(おおたやま いちろう、1924年5月3日 - 1999年11月11日)は、東京府荏原郡大森町(現在の東京都大田区、出生地は岩手県盛岡市上田)出身で、高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は藤沢 一郎(ふじさわ いちろう)。身長177cm、体重120kg。得意手は右四つ、寄り。最高位は東前頭20枚目(1957年9月場所)。 ==来歴・人物== 小学校卒業後は日立航空機に勤務していたが、当時の人気大関・前田山に誘われ、1939年(昭和14年)6月に彼が所属する高砂部屋へ入門した。 1940年(昭和15年)1月場所で初土俵を踏み、翌年5月場所にて前田山から2字を貰った「前田川」の四股名で、序二段に付け出された。 三段目の地位にあった1944年(昭和19年)11月場所から翌1945年(昭和20年)11月場所までは、兵役に取られていた。 復員後、1950年(昭和25年)9月場所で幕下優勝を遂げ、1951年(昭和26年)9月場所で十両昇進を果たした。最終の四股名「大田山」は、出身地の東京都大田区に因んだ(「前田川」「岩手山(出生地・岩手県の名峰に因む)」を経てこの名を名乗ったが、当初は「太田山」と、点がある方の「おおたやま」だった)。 1954年(昭和29年)5月場所から、現役最終場所となる1959年(昭和34年)5月場所(10日目)まで弓取式を披露し、テレビの大相撲中継の普及とともに“弓取式の大田山”として有名になり人気を博した。 十両23場所目の1957年(昭和32年)5月場所で12勝3敗と好成績を収め、翌9月場所にて、33歳で新入幕を果たした。 幕内力士として弓取式を行ったのは、前任者でもある大岩山(立浪部屋)以来であり、当時は横綱・大関に匹敵する人気があった。 しかし幕内では勝ち越すことができず、わずか2場所で十両に陥落、その後も引退する間際まで弓取式を行った。 引退後は年寄・陣幕を襲名、1960年(昭和35年)1月からは同・錦戸を名乗って高砂部屋付きの親方として後進の指導に当たり、1989年(平成元年)5月2日付で日本相撲協会を停年退職した。 その間、相撲協会に在籍しつつも、神奈川県横浜市鶴見区(後に同市港北区)で相撲料理店「ちゃんこ 大田山」を経営していた。 1999年(平成11年)11月11日、肺炎のため静岡県内の病院で逝去。75歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大田山一朗」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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