翻訳と辞書
Words near each other
・ 大石久右衛門良信
・ 大石久和
・ 大石乳業
・ 大石五郎
・ 大石亨
・ 大石代三郎
・ 大石代悟
・ 大石余平
・ 大石保
・ 大石信云
大石信安
・ 大石信幸
・ 大石信清
・ 大石信澄
・ 大石信興
・ 大石信豊
・ 大石信重
・ 大石倫治
・ 大石倭夫
・ 大石倭生


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

大石信安 : ミニ英和和英辞書
大石信安[やす]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こく, いし]
 【名詞】 1. volume measure (approx. 180l, 5 bushels, 10 cub. ft.) 
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 

大石信安 ( リダイレクト:大石無人 ) : ウィキペディア日本語版
大石無人[おおいし むじん]

大石無人(おおいし むじん、寛永4年(1627年) - 正徳2年5月5日1712年6月8日))は、江戸時代前期の武士。名は良総(よしふさ)または信安〔義士銘々傳より(発行:泉岳寺)〕。他の通称に五左衛門(ござえもん)。
赤穂藩浅野氏の家臣・大石信云の長男として生まれた。弟に大石信澄赤穂浪士大石信清の父)がいる。しかし、正保2年(1645年)に父が隠居した際に家督を継いだのは弟の信澄であった。無人はしばらく赤穂藩に仕えたものの、寛文6年(1666年)に藩を離れた。無人の長男の大石良麿や次男の大石良穀も赤穂浅野家には仕えず、それぞれ陸奥国弘前藩津軽家讃岐国高松藩松平家に仕えている。
元禄14年(1701年)、赤穂藩主・浅野長矩の刃傷事件後に、吉良邸討ち入りを計画する甥の大石信清をはじめとする赤穂浪士たちへ資金援助をした。また、赤穂浪士の装束等の遺品を預かったとされ、装束は長男・良麿に伝承され、現在は大石神社に納められている。なお、吉良邸の動向をさぐり、討ち入り自体にも参加しようとしたが、説得され断念している。討ち入りの際には無人は子・良穀と共に邸外の見張りについていたともいわれている。弘前藩屋敷は本所にあり、吉良邸とはそう遠くない。
正徳2年(1712年)に死去。享年86。京都蟠桃院に葬られた。法名は寂照院三性道句。

== 脚注 ==




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大石無人」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.