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大石第二朗 : ミニ英和和英辞書
大石第二朗[に]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こく, いし]
 【名詞】 1. volume measure (approx. 180l, 5 bushels, 10 cub. ft.) 
: [だい]
 (n,pref) ordinal
第二 : [だいに]
 (n) second
: [に]
  1. (num) two 

大石第二朗 ( リダイレクト:大石大二郎 ) : ウィキペディア日本語版
大石大二郎[おおいし だいじろう]

大石 大二郎(おおいし だいじろう、 1958年10月20日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手内野手)、監督、野球指導者、解説者評論家。からまでの登録名は、大石 第二朗(読みは同じ)。
== 経歴 ==

=== アマチュア時代 ===
静岡県静岡市で、鮮魚の小売・仕出し業を営む家庭に生まれた〔朝日新聞、1998年06月14日付朝刊、静岡地方面〕。中学校では2学年上の兄が野球部主将を務めており、同じ部となる事を嫌がられたため当初は柔道部に入ったが、1年生の6月に野球部に移り本格的な野球を始めている〔。
高校も兄と同じ静岡商業高校に進み、部員50人を超す大所帯で1年生の夏からベンチ入り。1974年夏の選手権に出場し、大石本人の出場機会はなかったものの、3年生のエース高橋三千丈の力投もありベスト8進出。翌年は1番打者として春の選抜に出場し、ベスト8進出に貢献している。3年生時には同級生で後にプロとなる久保寺雄二遊撃手を務め、自身は3番・三塁手となりチームは県予選で本命視されていた。しかし一学年上の先輩が1月末に他校の生徒と喧嘩をしていたことが4月に発覚し、チームは夏の県大会に出場できなかった〔。
高校卒業後は競輪選手になる事を考えていたが、父親の勧めで亜細亜大学に進学〔週刊ベースボール、1997年12月1日号、P.115〕。の3年次の春季リーグ戦では17盗塁をマークし、当時の東都大学リーグ新記録を樹立した〔1987年の春季リーグ戦で野村謙二郎が18盗塁し、記録を更新している〕。大学4年間では通算91試合出場、344打数99安打、打率.288、4本塁打、25打点、44盗塁を記録している。また、ベストナインには2回選出されている。大学卒業後は今度こそ競輪選手になるつもりだった〔週刊ベースボール、1988年1月10日号、P.36〕が、1980年のドラフト会議近鉄バファローズに2位で指名され、野球部監督の矢野祐弘の勧めもあり近鉄に入団した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大石大二郎」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Daijiro Oishi 」があります。




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