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鶴姫(つるひめ、1526年(大永6年)? - 1543年(天文12年)?)は、戦国時代の伊予国にいたとされる伝承的女性。姓名は大祝 鶴(おおほうり つる)。大山祇神社(愛媛県大三島)の大祝職(大宮司)・大祝安用(やすもち)の娘で、兄に大祝安舎(やすおく)と安房(やすふさ)がいるという。 鶴姫の生涯が知られるようになったのは、大祝家の末裔で大三島大社講社長を務めた三島安精(みしま やすきよ)が、大山祇神社の所蔵する甲冑類のうち、重要文化財に指定されている紺糸裾素懸威胴丸(こんいとすそすがけおどしどうまる)〔、2014年11月30日閲覧。〕を見て、女性用の鎧ではないかと1963年(昭和38年)に思い付いたことに始まる。三島は、大祝家の事績を綴った社伝の『大祝家記』という文献に記載されているという、鶴姫という名の女性の伝記と同胴丸とを結び合わせ、これを豊富なフィクションで脚色した悲劇ロマンス小説の『海と女と鎧 瀬戸内のジャンヌ・ダルク』を1966年(昭和41年)に執筆・出版したが、時間の経過とともに同書の内容が「鶴姫伝説」として広まっていったのである(知名度上昇の過程にて後述)。 しかし、鶴姫の事績やその実在性については、史料が抱える問題や当時の中国・四国地方の歴史的状況といった観点から疑問が出されており、紺糸裾素懸威胴丸が彼女の使用したもので、かつ女性用の鎧であるとする言説についても、一部より批判されている(実在性をめぐる疑義にて後述)。 なお、大三島の下条地域には「おつるさん」という小さな祠があるが、関係は不明である。 == 時代背景 == 戦国時代、周防の大内氏が中国・九州地方で勢力を拡大し、伊予の河野氏の勢力下である瀬戸内海へもその勢いが拡大の一途を辿っていた。大山祇神社の大祝職たる大祝家当主は、神職を務める立場から戦場に赴くことはなかったが、戦が起きた場合は一族の者を代理役の陣代に立てて派遣していた。1522年(大永2年)に大内氏が大三島へ侵攻してきた際には、鶴姫の兄・安舎が父・安用の陣代として出陣し、大祝家と同じく越智氏に出自する河野氏や村上水軍の援護を受けて大内軍を撃退したという(第一次大三島合戦)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鶴姫 (大三島)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Tsuruhime 」があります。 スポンサード リンク
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