|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 大神宮 : [だいじんぐう] (n) the Grand Shrine at Ise ・ 神 : [かみ] 【名詞】 1. god ・ 神宮 : [じんぐう] 【名詞】 1. Shinto shrine ・ 神社 : [じんじゃ, かむやしろ] 【名詞】 1. Shinto shrine ・ 社 : [やしろ] (n) shrine (usually Shinto)
大神宮神社(佐久市)(だいじんぐうじんじゃ)は、長野県佐久市岩村田の神社。 祭神は天照皇大神。別名皇大神宮。 == 概略 == 仁寿元年(851年)に桜井宮が信州佐久岩村田石並地籍に創建。当時、伊勢の社殿が建ち並んでいたので、伊勢並(いせならび)という地名になった。やがて、伊勢並(いせなみ)、石並(いせなみ)と変化した。鎌倉時代には、ここに大井氏が石並城を造った。一遍上人はここで踊念仏を行ったとの伝承がある〔『明治百年記念岩村田歴史年表』佐久市浅間公民館発行、全32頁中5項、昭和43年2月15日〕。当時の空堀と井戸が残っていたが、井戸は戦前に埋められた。貞和5年(1349年)には、大井氏との対立から社殿は岩村田の今宿に遷宮し、伊勢屋敷と呼ばれた。伊勢神宮のように内宮と外宮の二社が配された。また参拝者が泊まる伊勢宿(いせやど)や郷蔵も建てられ、旧中山道に面していたので賑わったと言う。この一帯を裏町(うらまち)と呼ぶが、これは内裏(皇室)の神の坐す町という意味がある。伊勢屋敷で用いる米を栽培する田が岩村田相生町に用意され、今も伊勢田(いせた)として残っている。また、伊勢屋敷の北側の道は今でも伊勢小路(いせこうじ)と呼ぶ。江戸時代に伊勢屋敷に来た伊勢神宮の福島鳥羽太夫神官、杉本宗太夫神官、依田金十郎伊勢町奉行らは隣館の割本邸に宿泊し、当時の献立や石碑等が現存している。明治11年(1878年)には伊勢屋敷の内宮が岩村田の鼻顔に遷宮し大神宮神社となった。昭和41年(1966年)には外宮が岩村田の本町に遷宮し、神明社になり、伊勢屋敷の跡地は現在は公園になっている。本町区には江戸時代からの伊勢講が継承されている。本町の神明社は「御神明様(おし(ヒ)めさま)」とも呼ばれる。大神宮神社は皇大神宮(こうたいじんぐう)ともいわれる。鎮座地は花園町だが、神社の管理や運営等は伊勢屋敷があった稲荷町が行っている。大神宮神社境内には、天神宮、秋葉社がある。天神宮はかつて岩村田天神堂にあり、小学校建設時に移動された。秋葉社は、割本邸にあったもの〔金沢正昭 『歴史に学ぶ岩村田の昔 佐久市岩村田小学校開校130周年』 平成14年11月2日発行、全47頁中2頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大神宮神社」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|